レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/06/10
- 登録日時
- 2019/09/05 00:30
- 更新日時
- 2019/09/05 10:19
- 管理番号
- 所沢本-2019-013
- 質問
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解決
与謝野晶子が所沢に来たことがあるかを調べたい。
- 回答
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与謝野晶子は、昭和13年8月28日に、当時農村保健館(所沢保健所)の所長として所沢に住んでいた、長男光に会いに来たことがあるようです。
以下の資料に記載があります
〇『与謝野寛晶子書簡集成 第4巻』 与謝野寛/[著] 八木書店 2003年
日付ははっきりしませんが、昭和13年ごろに、晶子が所沢に来たとの記載が以下の資料にあります。
〇『想い出 』 与謝野迪子/著 三水社 1984年
- 回答プロセス
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所蔵資料の内容確認
《参考情報》
『日本近現代人物履歴事典』 秦郁彦/編 東京大学出版会 2013年
P621「与謝野光(よさのひかる)[京都]」の項あり。
「衛生技術者 明36.1.7~平4.4.16(1903-1992) 東京生まれ 与謝野寛・晶子の長男 妻迪子。(中略) [昭] 11.9 埼玉県衛生技師・所沢保健所長。(以下省略)」との記載あり。
〇『与謝野寛晶子書簡集成 第4巻』 与謝野寛/[著] 八木書店 2003年
P143「280 昭和13年8月27日 井上苔渓宛晶子書簡」に「[裏] 明28日には一寸所沢の光のところへまゐらんと存じ居り候」との記載あり。
「281 昭和13年8月29日 西村一平宛昌子書簡」に「西村一平様 昨日長男を所沢に訪ひ帰宅致して御手紙に接し、私は恐れ候ところの血壓の高まるを覚え候。(以下省略)」との記載あり。
〇『想い出 』 与謝野迪子/著 三水社 1984年
P235「農村保健所第1号 昭和13年」の項に
「昭和13年の春、私達は所沢に町役場のきも煎りで、よい貸家を見つけて貰い引っ越した。駅からは少し遠いが、広い家で庭もかなりあった。(中略)光は保健館の開館式をひかえ、その準備に日々追われていた。日本で初めての農村保健所第1号として、(以下省略)」
P239「本栖のうみ」の項に「7月28日」の手紙の後に
「旅好きの義母は、私達の心配もほどなく、所沢へも訪ねてくれた。今までより少しは広い家を見て、安心もし庭のつき山にも上がってみたりして喜んでくれた。」との記載あり。
P248「鞍馬山 昭和15年」の項に「光は所沢の仕事が軌道に乗り一段落すると、(中略)ちょうど雑司ヶ谷に住んでいた長姉の家の近くに、(中略)空いたのを機に越して行った。(以下省略)」との記載あり。
×『与謝野晶子書簡集』 与謝野晶子/[著] 大東出版社 1996年
×『与謝野晶子研究」 赤塚行雄/著 学芸書林 1994年
×『山の動く日きたる 』 山本千恵/著 大月書店 1986年
×『どっきり花嫁の記』 与謝野道子/著 主婦の友社 1982年
- 事前調査事項
- NDC
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- 日記.書簡.紀行 (915 9版)
- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 与謝野寛晶子書簡集成 第4巻 与謝野寛/[著] 八木書店 2003.7 915.6 4-8406-9633-0
- 想い出 与謝野迪子/著 三水社 1984.8 911.162 4-915607-02-X
- キーワード
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- 与謝野晶子
- 与謝野光
- 与謝野寛
- 与謝野鉄幹
- 与謝野迪子
- 所沢
- 農村保健所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000260972