レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年08月23日
- 登録日時
- 2019/08/25 16:08
- 更新日時
- 2020/09/30 13:55
- 管理番号
- 広県図2019136
- 質問
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解決
広島県東広島市の西条が酒どころになった歴史的経緯が知りたい。
- 回答
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『西条町誌』西条町誌編纂室/編纂,西条町,1971【H21.71/Sa19ア】
p.311-336 酒造業等の発達
p.311 「西条酒の起源についてはいろいろ伝承もあるが、(略)芸藩初期延宝頃(一六七三~一六八一)清酒白牡丹の製造元、島家によってはじめられたとみるべきで、」
p.313 「藩政末期頃の酒造り場より出された酒銘帖を見ると、(略)当時合せて本町域内に四軒の造り酒屋があったことになる。」
p.390-396 工業
p.390 「西条町の工業で、伝統が古く天下に広く知られているものに酒造業があり、(略)」
酒造業を含む,西条町の主な工場が年代ごとにまとめられている。
『西条:あゆみ-いま』西条町役場企画課,西条町史編纂室/編集,西条町役場,1968【H291.71/Sa19ア】
p.10 「酒の町」西条
「天正年間の古記録に「西条の庄村内に佳酒あり」と記されている。本格的に酒づくりがはじめられたのは江戸時代で、(略)当時三十七軒の造り酒屋があったと記されている。(略)」
『賀茂鶴命名百周年記念誌』賀茂鶴酒造株式会社/編,1973【H58.71/Ka41】
p.28-29 日本の酒蔵 酒都西條
p.29 「灘・伏見とともに、日本の三大銘醸地とうたわれている西条に、かつて昭和七年、俳界の巨星・河東碧梧桐先生が瀬戸内海探勝の途次、特に杖をとどめて西条酒を味わわれ、(略)紀行文「瀬戸内海遊記」の一節に『酒の新都』として、(略)」
p.28 「これによってみましても、大正から昭和初期に於てすら、既に西条酒の名声は天下に高く、(略)」
「ここには日本酒づくりに最適な条件が揃っています。(略)即ち「気候は清酒仕込期の十一月から三月までの平均気温は五~六度で温度差がなく最適」(略)」
このほか,「水質」「米質」「環境」「技術」「熱意」がすぐれているとまとめている。
『東広島ちょこっと旅:公式観光ガイド』[東広島市観光協会/編],東広島市観光協会,[2017]【H291.71/ヒカシ117ア】
p.12 近代醸造・吟醸酒のふるさと
「俳人・河東碧梧桐に「酒の新都」と呼ばれた安芸西条の酒造りは、明治後期から昭和初期にかけて飛躍的な発展を遂げました。安芸津の蔵元、三浦仙三郎が確立した「軟水醸造法」の技術を広めるため、西条の蔵元、木村静彦が中心となって創立した西條酒造学校。(略)さまざまな努力が実を結び、広島は名酒どころの評価を得ました。」
『日本の酒蔵』山口昭三/著,九州大学出版会,2009【588.5/109ヤ】
p.215-222 広島県の酒造場
p.217 「広島県の酒の大生産地は東広島市西条町で,(略)」
p.217-218 「西条駅の東側の本町筋に多くの酒造場が集中したのは,酒造に適した良質の水が出る水脈がこの狭い範囲に限られているからである。」
『日本酒の近現代史:酒造地の誕生』鈴木芳行/著,吉川弘文館,2015【588.5/115ス】
p.85-87 広島県の酒造地-西条
p.86 「賀茂郡の内陸部に位置する西条町の酒造業が発展の端緒をつかむのは、明治二七年の山陽鉄道神戸―広島間の開通にあった。鉄道輸送の便宜を得たこと、および日清戦争時、日露戦争時の需要急増に際会することで、酒造家と酒造量が激増する。」
p.87-90 “吟醸香”のある酒の発祥地
p.87 「広島酒の銘酒ぶりが喧伝されるようになるのは、大正はじめごろからであった。(略)」
『西条酒蔵通りの街をつくった三世代の産業功績者』東広島郷土史研究会,四日市町並研究会/編集,東広島郷土史研究会,2017【H58.71/ヒカシ117ア】
「酒都の礎を築いた」幕末から明治時代の第一世代,「西條を酒都にした」明治から戦前の第二世代,「酒都西条の復活に賭けた」大正から昭和の第三世代に分けて,功績のある人物についてまとめている。
『芸備地方史研究』300(2016.4),芸備地方史研究会【雑誌】
p.202-203 「木村静彦 酒都西條の生みの親」石田雅春
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 食品工業 (588 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 西条
- 日本酒
- 酒都
- 酒祭り
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000260470