レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20190405
- 登録日時
- 2019/06/04 00:30
- 更新日時
- 2020/10/19 17:18
- 管理番号
- 0401000721
- 質問
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解決
ロシア人革命家、医師のニコライ・ラッセル=スジロフスキー(1850-1930)のお墓の写真をさがしている。
写真が掲載された書籍、もしくは写真を所蔵している歴史博物館など、わかれば教えてほしい。
ラッセルは日露戦争時(1905)に来日、神戸、長崎を拠点にロシア人捕虜収容所をまわり、捕虜向けの雑誌を発行するなどして革命思想を説いていた人。1920年に中国の天津へ移住し、1930年に死去した。ラッセルの妻は日本人で、子供が3人いた。次男の大原安光氏はラッセルの死後、遺骨を持って日本に帰国し、母・大原夏野の実家、大原家のお墓に遺骨を埋葬したという。
- 回答
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お墓の写真が掲載されている本、所蔵している博物館等は確認できなかった。
『ニコライ・ラッセル 国境を超えるナロードニキ』下巻より、大原ナツノの出身が天草・大江であり、ラッセルの遺骨を大原家の墓に埋めた、大江の松月院にある大原ナツノの墓の近く、父安五郎の墓に一緒に納められているらしい、墓碑銘はない、との記述がある。
また、web『名墓録』には、ニコライ・ラッセルの墓が天草町大江の江月院にあるとの記述がある。
天草町大江に、島原の乱後の禁教時代に宗門改めが盛んに行われた頃に創建された、曹洞宗禅寺である(徳照山)江月院は確認できた。
松月院は天草市内に確認できず。類似名寺院で松林庵はあるが、亀川であり大江からは遠い。
江月院の写真や、天草の写真集などにもお墓の写真は見つからない。
矢島俯仰のページ>名墓録 (現在、サイトは閉鎖されている) ※No.15053 ニコライ・ラッセル 熊本県天草市天草町大江 江月院(2019/06/07 最終確認)※2020/09/01
曹洞禅ナビ http://www.sotozen-navi.com/ ※江月院基本情報 (2019/06/07 最終確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『国境を超えるナロードニキ』の下巻に、著者が熊本県天草大江の「松月院」を訪れ(訪問は1972年)、大原家のお墓にラッセルが埋葬されているとの記述がある。「ドラマチック in Japan」収録の論文には(2017年刊)、比叡山にラッセルのお墓があると記載されている。また、インターネット上には、天草町大江の「江月院」にラッセルの墓があるとの情報もあり。
- NDC
- 参考資料
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- ニコライ・ラッセル 下,和田 春樹/著,中央公論社,1973年 (巻末に人名索引 P266:大原ナツノが大江出身で、キリスト教信者ではなかったこと P369:遺骨を大原家の墓に埋めたこと、ラッセルの骨が収められているらしいこと|0111327722|/289.3ラ/シュ/029858)
- 天草の史跡文化遺産,鶴田 文史/編著,天草文化出版社,1971. (P94:徳照山江月院 石段写真あり|0110585353|C/290/L/ツ)
- 天草町郷土誌,天草町郷土誌編集委員会/編,天草町,1978年 (P50:大江 徳照山江月院 地蔵など写真あり|0110585114|C/290/L/ア)
- キーワード
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- ニコライ・ラッセル
- ラッセル・スジロフスキー
- 日露戦争
- ロシア人捕虜収容所
- ナロードニキ
- 大原ナツノ
- 大原安光
- 天草町大江
- 江月院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000256784