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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
枚方市立中央図書館 (2310213)管理番号
(Control number)
00013-180803
事例作成日
(Creation date)
2018年08月03日登録日時
(Registration date)
2018年12月09日 16時21分更新日時
(Last update)
2018年12月12日 15時02分
質問
(Question)
戦争中、枚方にあった香里製造所、枚方製造所、禁野火薬庫と片町線を結ぶ引込線について、戦後どのような状況だったか。撤去されるまでにどのように使用されていたか?
回答
(Answer)
『片町線・草津線・関西本線 そのルーツと鉄道文化を探る』によれば、香里軍用側線は、香里製造所と星田駅を結ぶ側線で、開通は昭和16(1941)年9月21日、撤去は昭和23年10月ごろである。津田駅から禁野弾薬庫に伸びる軍用側線の完成は昭和11(1936)年で、工事は2か年に亘っている。この軍用側線の大部分は国道307号に変わっている。
『津田史』では、戦争終わってこの禁野津田線は用いられるところなく、線路上に草茫々として、つわものどもの夢のあとに似たる感がある、と記述している。
『交野町史』には、星田駅から旧陸軍香里火薬製造所へ通ずる専用鉄道が開通し、機内も拡張され専ら軍需品の輸送やまた工員の通勤に大いに利用されたが、戦局が深刻となると共に列車の回数は減り昭和19年10月には金属回収のため同駅の待合所も一部撤去され終戦頃の車輌や線路の状態はみじめなものであった。第二次世界大戦から終戦直後にかけての荒廃振りは御多分に漏れなかった、と書いてある。
 森井貞雄は、「香里団地以前」で香里工廠からの「軍用側線は茄子作集落の西側をほぼ直線的に南に抜け、急カーブして国鉄片町線星田駅の北側に接続した。(中略)戦後、軍用側線は1948年頃まで撤去資材の搬出などに用いられた。なお、1970年ごろまでに路線敷の掘割、盛土、鉄橋などが残っていたが、現在はJR星田駅周辺以外は道路に拡幅され現況を留めない。」と記述している。
 枚方市市史資料室所蔵の昭和27年航空写真や昭和37年の地図では、引込線はまだ道路にはなっておらず、昭和41年、43年頃に一部道路化、45年にはほぼ現状通りとなっている。津田駅からの引込線は国道307号線になり、その一部は平成3年に「中宮平和ロード」として整備されている。星田駅からの引込線は現在市道となっている。
 以上のことから、引込線は、戦後は資材の撤去・搬出に使用され、その後は国道や市道になったことが読み取れる。
回答プロセス
(Answering process)
「引込線」「軍用側線」「軍用鉄道」「片町線」などで検索しても図書・雑誌ではあまりヒットせず、『津田史』『交野町史』などで終戦前後の状況を探していった。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210)
近畿地方  (216)
鉄道運輸  (686)
参考資料
(Reference materials)
『片町線・草津線/関西本線そのルーツと鉄道文化を探る』 羽森康純 トリオ印刷 1997
『津田史』 片山長三 1957
『交野町史』 片山長三 交野町役場 1963
「香里団地以前」 森井貞雄 大阪文化財研究30 2006 p.145-157
『鉄道廃線跡を歩くⅤ』 宮脇俊三 JTB 1998, ISBN 4-533-03002-5
「片町線探訪記」 佐々木拓哉 大阪春秋163号 2016 p.40-41
キーワード
(Keywords)
引込線
片町線
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介 事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000248010解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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