レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 尼崎市立歴史博物館 地域研究史料室 “あまがさきアーカイブズ” (5000006) | 管理番号 (Control number) | 150 | ||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2018年9月22日 | 登録日時 (Registration date) | 2018年09月22日 15時54分 | 更新日時 (Last update) | 2023年05月28日 10時35分 | ||||||||||
質問 (Question) | 昭和戦前期から高度経済成長期にかけて、尼崎市の臨海工業地帯にあった大谷重工業尼崎工場について調べたい。工場があった場所を確認できる地図や、工場を写した写真なども閲覧したい。 また、同工場で働いていた朝鮮人が民族独立運動を組織したとして、昭和19年に治安維持法違反容疑により検挙された事件についても調べたい。 | ||||||||||||||
回答 (Answer) | 大谷重工業は、東京ロール製作所と大谷鉄鋼(いずれも大正8年-1919-設立)が、大谷製鉄(昭和14年-1939-設立)と昭和15年に合併して発足した会社です。この合併にともない、昭和9年に東京ロール製作所が尼崎市西高洲町に設けた工場が、大谷重工業尼崎工場となりました。同工場は、電気炉により粗鋼や圧延鋼材、棒鋼、形鋼などを生産する中堅電炉メーカーの工場として、戦時中から戦後復興・高度経済成長期にかけて生産を継続しました。 昭和43年、大谷重工業は倒産し、八幡製鉄の資本参加を受けて再建されます。その後は八幡製鉄傘下企業の生産調整が行なわれ、尼崎工場の設備は徐々に休止していきました。昭和52年には、大谷重工業が同じ八幡製鉄傘下の大阪製鋼と合併して合同製鉄となり、尼崎工場は合同製鐵尼崎製造所と改称したのち、昭和55年3月に廃止されました。 大谷重工業を設立したのは、力士から経営者に転じた大谷米太郎でした。同社の経営に加えて、東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)にホテルニューオータニ(東京都千代田区)を開業したことでも知られています。 同社の尼崎工場は、米太郎の弟で、やはり力士出身の大谷竹次郎が専務として経営にあたりました。米太郎・竹次郎ともワンマン経営者として知られ、竹次郎が学生相撲の強者(つわもの)を集めた尼崎工場の相撲部は、昭和30年代には実業団相撲界最強と評されました。竹次郎は美術品収集にも熱中し、そのコレクションは没後に私邸とともに西宮市に寄贈され、西宮市大谷記念美術館となりました。このほか、戦時中に捕虜収容所が設けられたことや、戦後復興期の尼崎で頻発した激烈な鉄鋼争議のさきがけとなった大谷重工争議(昭和25年)など、尼崎工場の歴史は数々の特徴的なエピソードにより彩られています。 大谷重工業の社史は編さんされていませんが、Web版尼崎地域史事典をはじめとする各種参考文献により、上記のような工場の歴史を調べることができます。また、尼崎市立地域研究史料館では工場があった場所を示す各年代の地図や、昭和20年代以降の同工場が写る写真(ないしこれを掲載した印刷物)を所蔵しており、あわせて閲覧することができます。 また、明石博隆ほか編『昭和特高弾圧史』8(太平出版社、1976)が翻刻紹介する特高月報原稿(未刊行月報の原稿)に、大谷重工業尼崎工場の朝鮮人グループ7人(協和訓練隊特別青年会のメンバー)が民族独立運動を行なったとして、治安維持法違犯容疑により検挙された事件が報告されています。 | ||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 大谷重工業に関する参考文献 ◆『尼崎地域史事典』(尼崎市,1996)/Web版尼崎地域史事典"apedia" 項目「大谷重工業尼崎工場」執筆者:名和靖恭 ◆『一心 大谷米太郎』(大谷米太郎追想録刊行委員会,1969) ◆『努力 大谷竹次郎』(大谷竹次郎追想録編集委員会,1973) ◆『栄える産業博覧会 防潮堤完成記念AMAGASAKI』(尼崎市,1954) p46に大谷重工業を紹介、写真掲載 ◆『図説尼崎の歴史』(尼崎市,2007)/Web版図説尼崎の歴史 現代編第一節4「民主化の後退と社会的亀裂」のうち囲み記事「大谷重工争議と元力士のワンマン経営者」執筆者:佐賀朝 戦後の大谷重工業の経営と争議について解説 ◆井上眞理子著『尼崎相撲ものがたり 鉄のまちの知られざる昭和』(神戸新聞総合出版センター,2003) p139~197に「裸の王様 大谷竹次郎伝」と題して大谷竹次郎による経営、相撲部の様子、大谷重工争議などについて記す ◆『甦る夾竹桃 尼崎市民のつづる戦後体験 必死に生きた尼崎市民の戦後一〇年』(尼崎市民の戦後体験編集委員会,1997) p34~42に戦時中大谷重工業での勤労体験談、p200~211に戦後の大谷重工争議の体験談を掲載 ◆茶園義男編著『大日本帝国内地俘虜収容所』(不二出版,1986) 大谷重工業尼崎工場に俘虜収容所(捕虜収容所)があったことがわかる資料を収録 なお大谷重工争議については、ほかに『兵庫県労働運動史』戦後1(兵庫県文化協会,1983)等複数の参考文献がある。 2 昭和19年の朝鮮人グループ検挙事件に関する参考文献 ◆明石博隆ほか編『昭和特高弾圧史』8(太平出版社,1976) p310~313に、大谷重工業尼崎工場の朝鮮人グループ7人(協和訓練隊特別青年会のメンバー)が民族独立運動を行なったとして治安維持法違犯容疑により検挙された事件を報告する特高月報原稿(未刊行月報の原稿)を翻刻掲載 ◆兵庫朝鮮関係研究会編『兵庫と朝鮮人』(ツツジ印刷,1985) p105~107に、上記『昭和特高弾圧史』8を援用して事件について記述 | ||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||||||
備考 (Notes) | Web版尼崎地域史事典"apedia"(項目「大谷重工業尼崎工場」執筆者:名和靖恭) http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/ Web版図説尼崎の歴史 現代編第一節4「民主化の後退と社会的亀裂」の小見出し(囲み記事)「大谷重工争議と元力士のワンマン経営者」執筆者:佐賀朝 http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/05gendai/gendai1-4.html | ||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000242843 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |