レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/8/24
- 登録日時
- 2018/06/20 00:30
- 更新日時
- 2018/09/24 12:28
- 管理番号
- 奈県図情18-001
- 質問
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日本において年貢を納める時、籾米で納める場合と玄米で納める場合があると聞いた。それは時代によって異なっているのか。異なっているとすればそれはいつ頃からか。またなぜそのような納め方の違いがでてきたのか。そのような年貢米の納め方の変遷を記した文献があれば教えてほしい。
- 回答
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回答
・年貢(古代においては田租)は、古代においては当初、稲に籾がついた状態で納められていたが、徐々に穀物の状態で納められるようになり、12世紀頃には、ほぼ穀物の状態で納められるようになった。この頃に納められた穀物が籾か玄米かは不明だが、太閤検地以降(16世紀末)玄米の状態で納められるようになる。ただし、例外的に籾で納めている地域もあった。
・「なぜ納め方の違いが出てきたのか」について書かれた資料、および「年貢米の納め方の変遷を記した文献」については見つけることができなかった。
回答詳細は下記のとおり。
・古代律令制の下では、田の面積に応じて田租(でんそ)が課されていた。(単に「租」とも呼ばれる)
『大宝令』『養老令』の規定では、田一段につき稲二束二把と定められていた。
(『國史大辭典』第九巻 978頁「田租」の項目)
束・把:稲は「束」「把」で数えます。「把」は人間の片手でまとめられる分量を表す語です。稲は10把で「1束」と数えます。
(『数え方の辞典』24頁)
以上から、古代律令制下では、税を稲で納めていたと考えられるが、田租が必ず稲の状態で納められていたという確証はない。
例:『東大寺正倉院文書』「大倭国天平二年大税帳」【軽税銭直稲穀伍拾参斛捌斗玖升】など・・・稲穀を「斗」や「升」で計っている資料複数あり。
(『古事類苑』政治部三十七 上編 「田租」)
・鎌倉幕府の頃には古代の制度が廃れ、「田租」は「年貢」「土貢(どこう)」「及貢(のうこう)」などと言われるようになる。
(『古事類苑』政治部七十八 下編「田租一」)
古事類苑に挙げられている鎌倉時代以降の史料には、「束」「把」で米や穀物を計っている事例は見当たらなかった。ただし、「斗」や「升」で計られている米が、籾米か玄米なのかは不明。
・豊臣秀吉の天下統一で制度が改定され「石盛」が導入される。
「石盛ノ法ハ(中略)一段ニ籾三石ヲ得ルハ、五合摺ニシテ米一石五斗ヲ得ルナリ」
(『古事類苑』政治部七十八 下編「田租一」)
・また、寛政年間に書かれた史料『地方凡例録』(じかたはんれいろく)に石盛(田畑屋敷の段当り見積生産高)算出方法として以下の記述がある。
(中略)壱坪に平均して籾壱升あれバ、壱反三百歩に籾三石、壱町歩に籾三十石
に付、五合摺にして米拾五あるゆへ、
則ち上田ハ十五の盛に付、此高拾五石、免五箇取、米七石五斗になるなり、但し石盛の古法ハ、前条に記すごとく、坪苅をなしたる籾の内弐割を減じ、仮令バ上田壱坪に付、籾壱升ありて壱反に三石あり、此内の弐割を引き、残り弐石四斗を五合摺にして、米壱石弐斗あり…(中略)
(『地方凡例録』上87頁)
書かれているのは享保年中の検地の算出方法であるが、文中の「古法」は太閤検地の算出方法であり、前述の『古事類苑』の記述と同じく、籾の産高に対し五合摺にして米の産高を考えていることから、太閤検地以降については籾ではなく、玄米で年貢が納められていたと考えられる。
ただし例外もあり、世間一般が米納になっても甲州だけは籾納であった模様。
甲州の年貢前〃ハ籾納にて、俵入は壱俵に甲州桝弐斗弐升入なり(中略)又往古籾納のことは日本統一と雖も、
甲州ハ世上米納に成たる後迄も籾納に致たる由にて、今の米納ハ何の頃より始まりたるにや時代詳らかに知難し、…
(『地方凡例録』上256~257頁)
・以上から、年貢(古代においては田租)は、古代においては当初、稲に籾がついた状態で納められていたが、徐々に穀物の状態で納められるようになり、12世紀ぐらいには、ほぼ穀物の状態で納められるようになった。その穀物は籾なのか玄米なのかは不明だが、太閤検地以降(16世紀末)玄米の状態で納められるようになる。ただし、例外的に籾で納めている地域もあった。
・「なぜ納め方の違いが出てきたのか」について書かれた資料、および「年貢米の納め方の変遷を記した文献」については見つけることができなかった。
なお、国税庁のウェブサイト(国税庁>税務大学校>租税史料>税の歴史クイズ>「年貢米」>「年貢米」(答え))に「年貢は玄米で納入することが基本であった」とのの記述あり。出典が不明のため参考情報としておく。
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1504/answer.htm
- 回答プロセス
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・『國史大辭典』にて「田租」の項目を調べる。田租(租)についての解説が書かれていたが、納める米が、籾の状態なのか玄米であるのかは載っていなかった。
・レファレンス協同データベースにて「年貢」「籾」といったキーワードで検索したところ類似の事例が該当する。江戸時代以降についてはこの事例を参考にした。
(尼崎市立地域研究史料館 管理番号128 2017年8月14日事例作成 )
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000220332
・また、Googleにて「年貢」「籾」「玄米」などのキーワードで検索したところ、国税庁ウェブページの「税の歴史クイズ」が該当する。ここに質問の回答となる解説がある。(出典不明)
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1504/answer.htm
(ウェブページ確認:2018/9/13)
・レファ協の事例を手掛かりに『地方凡例録』を調査、事例と同じ記述を確認する。
・古代や中世の税制度について書かれている文献を調べる。(当館OPACにて「年貢」「田租」「税」などのキーワードで該当した図書など)
→納めている米が籾なのか玄米なのかについて書かれているものは見つけられなかった。
・古事類苑から「籾」や「年貢」などを調べる。(文献でいつごろから年貢などの言葉が出てくるか、どういった使われ方をしているか調べるため)
→文言が出てくる文献多数。ただし、納める米がどういう状態であるかを記したものは見当たらず。
・レファ協事例を参考に「束」でカウントされる米は稲の状態、「升」などの単位でカウントされるものは粒状の状態であると判断し、
その変遷から回答のヒントを得る。
・なお、「玄米」については検地における石盛の算出方法について書いた史料に脱穀していると考えられる記述を確認。これを玄米にて納めることの根拠と考えた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 租税 (345)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第9巻 (たかーて). 吉川弘文館, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001939682-00 , ISBN 4642005099 -
飯田朝子著 , 飯田, 朝子(1969-) , 町田, 健(1957-). 数え方の辞典. 小学館, 2004-04.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000444971-00 , ISBN 4095052015 -
古事類苑 : 神宮司廳藏版 政治部 2. 吉川弘文館, 1996.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002619782-00 , ISBN 4642002200 -
古事類苑 : 神宮司廳藏版 政治部 4. 吉川弘文館, 1997.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002632563-00 , ISBN 4642002227 -
大石 久敬 著 , 大石 信敬 補訂 , 大石 慎三郎 校訂 , 大石‖久敬 , 大石‖信敬 , 大石‖慎三郎. 地方凡例録 上巻. 近藤出版, 1969. (日本史料選書)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I017807611-00
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国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第9巻 (たかーて). 吉川弘文館, 1988.
- キーワード
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- 田租
- 年貢
- 米
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237414