レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年04月26日
- 登録日時
- 2018/04/26 13:39
- 更新日時
- 2018/05/17 08:40
- 管理番号
- いわき総合-地域554
- 質問
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鹿島公民館敷地内に「史跡七本松」があるが、かつては、現在の鹿島公民館向かいファミリーマート駐車場にあったといわれている。
鹿島公民館敷地内に移された経緯や所有者・管理者はだれか等について知りたい。
- 回答
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「いわき民報」昭和50年6月25日(水)第6面に掲載された記事「七本松の碑を移転 県道新設で坂上田村麻呂の史跡」の中で、「…常磐~江名港線の改良工事で、七本松と碑が予定路線内に入ってしまったため、止む無く碑は移転し松は切り倒さなければならなくなった。そこで、地元民は、昔の面影を何とか残しておきたいとして、近くの山を切り開いたところに当時の碑と木村知事直筆の新しい『移転の碑』を建立、近くには新たに高さ5メートルの七本の松を植えた。」とある。
記事は、いわき市立図書館のホームページ➡郷土資料のページ➡新聞➡いわき民報➡昭和50年とクリックするとデジタル版を閲覧できる。
『写真で綴るいわきの伝説』p176「七本松と田村麻呂」(鹿島町走熊)の記述によると、「昭和10年ころまでに5本が風倒し、昭和11年さらに1本が倒れ、昭和12年には最後の1本も倒れてしまった。時の村長、志賀直哉は「一圓融合」の村是をもって村政に当たった大人物であっただけに『史蹟七本の松』の名を後世にとどめたいと、村民に呼びかけ世継ぎの松を同じ場所に植えた。ところが、昭和50年に、常磐・江名線が史蹟の中央を通ったために、そこから50メートルばかり西に離れた丸山の麓へ移されてしまった。」とある。
七本松の所有者・管理者については、合併前の鹿島村政の対応や、昭和50年のいわき市鹿島公民館敷地内に移設という経緯から、「市」と考えるのが自然ではないかと考えられる。
- 回答プロセス
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『写真で綴るいわきの伝説』p176、「七本松と田村麻呂」(鹿島町走熊)の記述から、検索対象を昭和50年にしぼって、「いわき民報」の記事を検索。
住宅地図で、ファミリーマートかしま病院店が開設された周辺は、字名が「七本松」(バス停の名称も「七本松」)と、七本松が植えられていた場所の名残となっていることがわかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 伝説.民話[昔話] (388)
- 参考資料
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草野日出雄/編著. 写真で綴るいわきの伝説. はましん企画, 1977. (草野日出雄ふるさとシリーズ)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010455066-00 - いわき民報 昭和50年6月25日 第6面
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草野日出雄/編著. 写真で綴るいわきの伝説. はましん企画, 1977. (草野日出雄ふるさとシリーズ)
- キーワード
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- 史跡七本松
- いわき市鹿島公民館
- 鹿島村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000235012