レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年02月01日
- 登録日時
- 2018/04/13 10:46
- 更新日時
- 2018/04/13 10:46
- 管理番号
- 市川20180201-03
- 質問
-
解決
椿海について書かれた資料を知りたい。
- 回答
-
椿海(つばきのうみ)は、近世まで九十九里平野の北部に存在した。
『千葉大百科事典』(千葉日報社 1982)p.637によると、ここは、椿湖・椿沼とも称され、かつては下総国海上郡・香取郡・匝瑳郡の三郡にまたがる東西三里・南北一里半の沼であったこと、1670(寛文10)年に干拓を着手、二年後に稲作を開始し、後に“干潟八万石”と呼ばれたこと等がわかる。
『房総叢書 10』(紀元二千六百年記念房総叢書刊行会 1943)p.1-22には「椿新田開発記」が記載されている。
また、『海上町史 特殊資料編 椿新田関係資料』(海上町役場 1982)は、1287ページにも及ぶ内容すべてが椿新田に関する資料で構成されており、詳細な事柄まで調べる事ができる。椿新田の古絵図も付録として添付されている。
その他の資料としては、『八日市場市史 下巻』(八日市場市 1987)第4章「椿新田の成立」p.112-128、 『干潟町史』(千葉県香取郡干潟町 1975)p.15-21「椿海の形成」、及び第4章第5節「椿海の開発」、 『東庄町史 上巻』(東庄町 1982)p.489-517「新田開発と村々」、 『東庄町史 下巻』p.988-990「椿湖開発による新村の名付け伝説」、 『旭市史 第1巻』(旭市役所 1980)第2部第1章「近世村の成立と樹海の干拓」等、椿海に面していた各市町村の市史・町史等に多くの資料と記載がある。
なお、上記資料から、新田開発の功労者として「鉄牛禅師(寛永5(1628)年-元禄13(1700)年)という人物がいたことが判明。
この人物に関しては、『鉄牛』(千葉県内務部 1913)、『郷土の人物』(ポプラ社 2011)p.58や『千葉県歴史の人物』(暁印書院 1988)p.107-109で確認できる。
また、英語資料『The Iron Cow of Zen』(Charles E.Tuttle 1991)もある。
椿海については、各市のホームページ等にも掲載がある。
千葉県ホームページでは「干潟八万石の誕生」として干拓前の「椿の海」と干拓後の「干拓八万石」をわかりやすく図で示している。
匝瑳市や旭市のホームページでは椿海に伝わる伝説や現在の「干潟八万石」の写真などが確認できる。
また関東農政局のホームページにも「さらに詳しく 椿湖の干拓」という記事がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000234657