レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180312
- 登録日時
- 2018/04/02 00:30
- 更新日時
- 2018/08/19 10:27
- 管理番号
- 0400000057
- 質問
-
解決
茨木市の隠れキリシタンについて知りたい。
- 回答
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『新修茨木市史 第二巻 通史2』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2016)P56-57
「北摂のキリシタン」の題でコラムあり。
『新修茨木市史 第三巻 通史3』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2016)P635-637
藤波大超と奥野慶治らによって行われた、隠れキリシタン遺物の探索などについての記載あり。
『新修茨木市史 第七巻 史料編考古』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2014)P495
佐保のクルス山中世墓地の発掘について記載あり
『新修茨木市史 第八巻 史料編美術工芸』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2008)P250-308
「茨木のキリシタン遺物と歴史」写真入りで遺物等が多数掲載されている。
『茨木の史跡 平成10年』(茨木市教育委員会 1998)P81-84
「隠れキリシタンの里」遺物等のカラー写真も何点かあり。
『キリシタン時代を歩く』(松田 毅一/著 中央公論社 1981)P160-169
「高槻、千提寺」
『隠れキリシタン こぼれ話 -切支丹灯篭の信仰-』(辻川 季三郎/著 辻川 季三郎 1999)P60-65
「千提寺(村)の隠れキリシタンの人たち」
『茨木の歴史 第29版』(「茨木の歴史」編集委員会/編 茨木市教育委員会 2004)P76-80
「隠れキリシタン」
『千提寺・下音羽のキリシタン遺跡 第五版』(久保 義明/著 2012)
日本や三島地区におけるキリスト教の歴史や、遺物についての説明。遺物にについては、カラー写真もあり。
『高山右近と北摂の隠れキリシタン』(久保 義明/著)
千提寺地区における高山右近の年表や、地区での生活。高山右近忍頂寺に出した「高山右近安堵状」(忍頂寺文書写本)あり。
『キリシタンの人々 4 -隠れキリシタン- (史陽選集49)』(牧村 史陽/著 史陽選集刊行会 1971)P20-38
P20-30「奥茨木キリシタン遺物一覧表」
P30-38「奥茨木キリシタン墓碑一覧表」
『茨木の歴史と文化遺産 第三版』(茨木市/編 茨木市 2003)P59-62
「隠れキリシタンの里」キリスト教弾圧について簡単に説明されている。茨木に伝わる祈祷文(オラショ)の掲載や、遺物の写真(白黒)あり。
『右近再考 -高山右近を知っていますか。-』(能勢 初枝/著 スタジオ・クレイ 2004)P239-248
「北摂のキリシタン遺物・遺跡」に茨木市の遺物・遺跡あり。
『高山右近とその時代-北摂のキリシタン文化-(平成10年特別展)』(吹田市立博物館/編 吹田市立博物館 1998)P38-42
「北摂のキリシタン遺物」
『摂津三島のキリシタン』(教育研究会歴史部/編 教育研究会歴史部 1952)P19-38
「切支丹の遺物」
『史跡ぶらりみてある記』(茨木市市長公室広報広聴課/編 茨木市市長公室広報広聴課 1988)P12-13
「隠れキリシタンの里」隠れキリシタン遺物発見の経緯についての記載あり。
『キリシタン遺跡と巡礼の旅』(喜田哲他/編著 愛心館 1981)P57-86
千提寺、下音羽に訪問し、遺跡や遺物を所蔵している個人宅に訪れた際の記録。遺物の写真多数あり。
『郷土茨木 四訂版』(茨木市教育研究所/編 茨木市教育研究所 1995)P46-48
「隠れキリシタン」歴史について
『茨木市史』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市史編さん委員会 1969)P345-358
「キリスト教文化」に「隠れキリシタン」の項もあり。
『新修茨木市史 年報 第4号』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2005)P1-61
P1-19 「茨木キリシタン遺物の発見」藤波大超が茨木のキリシタン遺物を発見した経緯について
P20-61 「史料 藤波大超関係書簡(教誓寺文書)」
『新修茨木市史 年報 第6号』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2007)P25-49
「茨木・東家旧蔵『切利支丹抄物』に書写された「聖体秘跡の連祷」-モーツァルトの作曲で知られるラテン語の祈りがキリシタン時代の北摂の山村に伝わっていたこと-(上)」
『新修茨木市史 年報 第7号』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2008)P26-50
「茨木・東家旧蔵『切利支丹抄物』に書写された「聖体秘跡の連祷」-モーツァルトの作曲で知られるラテン語の祈りがキリシタン時代の北摂の山村に伝わっていたこと-(下)」
『新修茨木市史 年報 第15号』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2017)P1-38
P1-7 「史料翻刻と解説 東藤次郎関係書簡(東利之家文書)解題・茨木キリシタン遺物発見をめぐって」
P8-38 「史料 東藤次郎関係書簡(東利之家文書)」
『茨木の史跡』(茨木市教育委員会/編 茨木市教育委員会 1988)P61-63
「隠れキリシタン」
『安威川総合開発事業に伴う文化財等総合調査 中間報告書』(財団法人 大阪府文化財調査研究センター/編 財団法人大阪府文化財調査研究センター 1997)P375-377
「第1節 幕藩体制の成立と北摂地方」に、キリスト教が千提寺や下音羽に広まった経緯について記載あり。
『彩都(国際文化公園都市)周辺地域の歴史・文化総合調査報告書 大阪府茨木市・箕面市
所在』(大阪府文化財調査研究センター/編 大阪府文化財調査研究センター 1999)P207-209 P261-301 P335-337 P397-482
P207-209 「墓地調査」
P261-301 「千提寺・下音羽のキリシタン信仰」
P335-337 「フロイスが記すロケ」
P397-482 「「千提寺・下音羽の切支丹遺物」と崇拝の方式および信仰組織の復元」 平成7年~9年に行われた聞き取り調査や現地調査に基づく資料
『見山の歴史』(谷川孫次/著 探究社 1991)P50-62
「高山右近と下音羽」主に下音羽地区における信仰について書かれている。
『綜合清渓村史(復刻版)』(創立115周年記念事業実行委員会/編 茨木市清渓小学校創立115周年記念事業実行委員会 1988)P32-40
「切支丹宗」
『大阪春秋 第21号 特集 北摂 後編』(大阪春秋 1979.9)P32-34
「北摂の隠れキリシタン」(藤波大超/著)
『北摂歴史散歩 高槻・茨木・島本編』(横山 高治/著 2006)P122-130
「隠れキリシタンの里・千提寺と下音羽」
『高山右近の生涯とキリシタン殉教』(久保 義明/著 1985)P22-23
「千提寺・下音羽のキリシタン遺跡」
『キリシタン墓とその前史-摂津の人びとが生きた証-(大阪府立弥生文化博物館 平成28年度秋季企画展 摂河泉シリーズ第3弾:北摂』(大阪府立弥生文化博物館/編 大阪府立弥生文化博物館 2016)P14-19
「北摂のキリシタン」
『キシリシタン墓碑型式についての一考察』(久保 義明/著 1987)
キリシタン墓碑について、図版と解説等
『いばらき自然歩道』(茨木市 2000)
「キリシタン自然歩道」にキリシタン遺跡の所在地の記載あり。
『キリシタンの文化』(五野井 隆史/著 吉川弘文館 2012)P279-280
「北摂茨木の潜伏キリシタン」
『大阪の地名1(日本歴史地名大系28)』(平凡社 1986)P204 P206-207 付録冊子P6-8
P204「千提寺村」
P206-207「下音羽村」
付録冊子P6-8「日本歴史地名大系 歴史地名通信 19」の「大阪キリシタン史研究雑話」(松田毅一/著)にも少し言及されている。
『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(角川書店 1983)P596 P679
P596「しもおとわ 下音羽」の項
P679「せんだいじ 千提寺」の項
のそれぞれに、隠れキリシタンの里であったことが、少しだが書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各教派.教会史 (198 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- キリスト教・教会
- 歴史
- 茨木市
- 隠れキリシタン
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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インターネット情報『茨木キリシタン遺跡発掘90周年-茨木遺跡の成立に関わる「フロイス日本史」清水寺ロケの実像-」
(http://takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/itou.pdf)
井藤暁子/著『坪井清足先生卒寿記念論文集-埋文行政と研究のはざまで-』(2010年)に収録の論文のオンライン公開データ(2017年7月確認)
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000234043