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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000233390
提供館
(Library)
千葉県立西部図書館 (2120003)管理番号
(Control number)
千県西-2017-0020
事例作成日
(Creation date)
2017年03月30日登録日時
(Registration date)
2018年03月28日 08時07分更新日時
(Last update)
2018年03月28日 08時07分
質問
(Question)
水上勉の『私版東京図絵』(朝日新聞社 1996)p113に「松戸の家の下に県警の射撃練習場が出来た」とあるが、いつごろからいつごろまで、射撃場が現在の北総線矢切駅の場所にあったのか歴史を知りたい。
回答
(Answer)
【資料1】によると、松戸市下矢切には昭和24年3月から昭和34年8月まで国際射撃クラブがありました。当時の新聞【資料4】【資料5】でも、昭和34年8月に閉鎖が決定したことが示されていました(【資料4】は昭和22年開設としています)。
県警の射撃練習場だったことを示した資料は見つかりませんでした。

【資料1】『千葉県スポーツ史』(千葉県スポーツ史編集委員会編集 千葉県体育協会 1962)
千葉県射撃協会の項(p128-129)に関連する記述がありました。
「昭和23年8月には市川猟友会、松戸猟友会の役員有志が会合し、県内および近郊各野県の射撃マンの寄附金を得て昭和24年3月マックミラー中尉の尽力により松戸市下矢切に国際射撃クラブ常設射撃場が許可開場された」
「両射撃場は射撃ブームによりますます盛んになった」が、「附近に民家が建築されたことと国道開設のため危険防止の見地より県警察本部より廃止命令がでた」ために「国際射撃クラブは昭和34年8月」閉鎖した。
「第2回大会以後千葉県射撃選手権大会を国際射撃クラブまたは松戸射撃クラブの射撃場で開催」
「昭和36年9月には松戸市八ヶ崎に国際射撃クラブ常設射撃場が復活開場されている」

【資料2】『千葉県スポーツ史 2』(千葉県体育協会 1978)
千葉県クレー射撃協会の項(p189-196)に、(9)「射撃場」に関連する一節がありました。
「民間の射撃場は昭和35年、36年に東京射撃倶楽部・国際射撃倶楽部がそれぞれ復活」(p196)とあります。

【資料3】茂木朋子「水上勉の松戸での二年間 作品より”矢切”をひろう」(『東葛流山研究』17号 1999 p78-84)
射撃場について「当時の写真か記録がないかと、松戸警察署に行ったが」分からなかった
「千葉県警にも問い合わせたが、警察史編さん係より、該当する記録や写真は、無いとの返事であった」(p80-81)

【資料4】「民家に流れダマ 松戸の射撃場、閉鎖と決る」(『読売新聞(千葉読売)』1959(昭和34)年8月26日)p10 <中央図書館契約データベース「ヨミダス歴史館」で検索可>
「松戸市下矢切一四四国際射撃クラブ(会長岩崎伝司氏)の射撃場」について、7月初旬ごろから「県、県警に対し付近の住民から再三陳情があった」ことや、25日に「射撃指定規則による県公安委の指定を取消すこと」になり、射撃場閉鎖が決定したことが記されています。
「同射撃場は昭和二十二年開設され、(略)百二十人の会員が猟銃のクレー射撃練習をしていた」、「民家がここ数年急激にふえたため流弾が雨戸や窓ガラスを破る事故がひんぴんと起り」等の記載があります。

【資料5】「国際射撃場、近く移転 松戸、陳情に知事回答」(『朝日新聞(千葉版中部)』1959(昭和34)年8月25日)p10 <西部図書館契約データベース「聞蔵Ⅱ」で閲覧可>
「松戸市下矢切青木自治会長」らが柴田知事に陳情していたことについて、「射撃場は二十二日役員会を開いて、他に移転を決定したから、近く危険はなくなると思うが、それ以前にやめさせるには公安委員会から使用停止命令を出さなければならない。従って公安委員会が開かれるまでしばらく待ってもらいたい」との回答があったとする記事です。

このほかの新聞の千葉版や、千葉日報については、マイクロフィルムで調査することができます。千葉県の新聞記事の探し方については、千葉県立図書館「調べ方案内」( http://www.library.pref.chiba.lg.jp/reference/pathfinder/index.html )の「千葉県の新聞記事を探す」を参照してください。
回答プロセス
(Answering process)
事実関係の確認
●水上勉は昭和32年9月から下矢切123番地に住んだ。34年9月までとする資料と10月までとする資料があった。
『昭和文学全集 25 深沢七郎 水上勉 瀬戸内晴美 曾野綾子 有吉佐和子』(井上 靖編集委員 小学館 1988)
「水上勉 年譜」掲載。
昭和32年9月に下矢切に転居、34年10月に文京区小石川初音町に転居と記載(p1057)。

『房総を描いた作家たち』(中谷 順子著 暁印書館 1998)
p201-225「水上勉」
「昭和三十二年九月に、市川国府台にほど近い、松戸市下矢切一二三番地に転居」(p201)
「昭和三十四年九月に下矢切を去っている」(p214)
「水上の住んでいた土地は現在では駅の路地裏に組み込まれている」とする矢切駅の写真(p205)、「射撃場の跡」写真(p209)等も掲載。

『広報まつど』714号(平成元年9月20日)
https://www.city.matsudo.chiba.jp/shisei/matsudo_kouhou/kouhou/kouhou1989.files/890920_web.pdf
p6「まつど文学散歩6 水上 勉「霧と影」」
「水上勉は、昭和三十二年九月(三十八歳)から三十四年十月までの二年間、下矢切一二三番地に住んでいました」
※『まつど文学散歩総集編』(宮田 正宏編 [宮田正宏] 2011)
p8-23「水上 勉『霧と影』」として、作品引用等詳しい記述がある。

●自伝小説「冬日の道」(『ふるさと文学館 第13巻 千葉』(ぎょうせい 1994)所収「冬日の道(抄)」)には、射撃場について、警官も利用していたことが描かれている。
「国府台の式場病院の裏にある高台だったが、一帯はまだ畑で、結核療養所と警察の射撃場にはさまれていた。目当ての家は、射撃場の上にある。」
「秋が近づくと、日をきめて下の射撃場で、大会がひらかれた。(略)大会の日は、夕方まで鉄砲が鳴り、ぶどう棚の葉の落ちる秋末がくると、さらにこの射撃会は警官も交えてひっきりなしに行なわれた」
「大家は(略)気の毒ではあるが、射撃場は半公営のものなので、文句をいっても越してくれないからがまんしてくれ、といった」(p88-89)


質問事項の調査
電話帳や住宅地図で確認を試みたが、該当時期の資料が見つからず、スポーツ関連資料で関連の記述を確認した。

【電話帳】
(1)千葉県立図書館
昭和37年より古い電話帳は未所蔵。
中央図書館千葉県資料室によると、『電話番号簿 千葉県西部版』(昭和37年12月2日現在)では、国際射撃倶楽部の住所は「八ヶ崎513」。

(2)旧逓信総合博物館(ていぱーく)
→郵政博物館資料センター、NTT情報通信史料センタに移管
・郵政博物館資料センター
昭和26年、昭和24年、昭和10年の千葉県の電話帳を所蔵。
内容照会依頼は受けていないが、事前申請をして個人での来館調査が可能。
資料閲覧方法の詳細はウェブサイトを参照( http://www.postalmuseum.jp/guide/postalmuseum.html

・NTT情報通信史料センタ( https://www.ntt-east.co.jp/pr/culture.html
調査してもらったが、回答に結び付く資料なし。

(3)国立国会図書館
OPACで検索したが、『千葉県電話番号簿 : 昭和42年9月11日現在』より古い資料なし。

【住宅地図等】
(1)千葉県立図書館
千葉県立中央図書館所蔵住宅地図一覧
http://www.library.pref.chiba.lg.jp/search_chiba/index.html#jutaku )参照。
松戸市について昭和46年より古いものは未所蔵。

『ゼンリンの住宅地図 松戸市 1971』(日本住宅地図出版 1971)
下矢切地域(127,128,131,134,135)に、射撃場は見つけられず。一般的な住宅のほかに、児童公園や矢切神社あり。

『市川市動態図鑑』(日本都市協会 1961)
『市川市住宅詳細図 1963年度版』(三洋堂 1963)
2冊とも市川市外は「松戸市」「船橋市」等とあるのみで、住宅等の記載なし。
下矢切地域と思しき部分(式場病院や化学療法研究所附属病院付近)を確認したが写り込みなし。

(2)松戸市立図書館
照会し、資料2点について情報を得た。該当しそうな資料はほかにないとのこと。
『松戸市全住宅案内地図帳 37年改訂版』(人文舎) 下矢切の部分に射撃場に該当しそうなものは見られず、八ヶ崎の部分については地図なし。
『松戸市全図 1万分の1』(昭和28年測量) 縮尺の関係で、射撃場かどうかの確認ができなかった。

(3)国立国会図書館
リサーチナビ「住宅地図」( https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-601006.php )より、国立国会図書館の地図室所蔵の住宅地図目録(PDF 2016年7月6日現在)を確認。
千葉県立図書館所蔵分より古い可能性があるのは次の2点で、1点目は松戸市所蔵資料と同一と思われる。
注意点として「住宅、建物の位置や住所の確認など調査の代行にあたるレファレンス」には回答しないと記載されているため、質問者自身が来館調査する必要がある。利用方法についてはリンク先を参照。

『松戸市全住宅案内図帳. 1962年改訂版』(人文社 [1962])請求記号YG111-12-207-A10 書誌ID000003555665
『松戸市 1970』住宅地図出版社 1970.6)YG111-12-207-A1 000003555669

(4)地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)( http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
国土地理院の保有する過去から現在までの地図や空中写真を検索・閲覧できる。
住所検索や拡大縮小を用いて地図を見たい地域を表示させて、閲覧可能な地図を検索。
事前調査から射撃場が営業していたと見られる時期の地図は次の1点だが、空中写真から射撃場があったかどうかの判断ができず。
整理番号KT572YZ 作成・撮影年 1957/03/29(昭32)

【スポーツ関連】
インターネットの検索エンジン「google」で「松戸 国際射撃クラブ」を検索。
千葉県ライフル射撃協会年表( http://www.h5.dion.ne.jp/~rifle600/nennpyou.htm
昭和29年 第1回千葉県射撃選手権大会開催(千葉市出州海岸仮設射場)
「第2回以降は松戸市国際クラブ射撃場で開催」とあり。

さらに「”千葉県射撃選手権大会”」で引き直す。
千葉県スポーツ情報センター スポーツの歴史( http://www.cue-net.or.jp/kouen/sicc/ken_joho.html
「昭和29年5月  第1回千葉県射撃選手権大会開催」
射撃場の会場・閉鎖情報は載っていない。
この年表に各地の「体育協会」の名が多く見られたことから、郷土のスポーツ史関連資料に大会情報などが載っている可能性を考え、千葉県資料を「体育協会」で蔵書検索、【資料1】【資料2】を取寄せたところ、記述があった。詳細な番地等はわからなかった。
『松戸市体育協会史』(松戸市体育協会史編集委員会編集 松戸市体育協会 1976)※背・表紙の書名「二十五年史」
松戸市クレー射撃協会設立時(昭和30年頃)の状況に関連して、「栗山にあった国際射撃場」と記載(p143)。詳しい記述はなし。

【新聞・雑誌関連】
千葉県の新聞記事の探し方については、千葉県立図書館「調べ方案内」( http://www.library.pref.chiba.lg.jp/reference/pathfinder/index.html )の「千葉県の新聞記事を探す」を参照した。
『千葉県関係新聞記事索引』(※昭和36年以降の刊行)
 昭和36年版、37年版の娯楽、住宅問題、体育スポーツ、狩猟、警察の索引を調査→なし
中央図書館の読売新聞データベース「ヨミダス歴史館」で読売新聞(千葉版)を検索(昭和23年~36年をキーワード「松戸 射撃場」で調査)→【資料4】あり。
【資料4】を手掛かりに西部図書館の朝日新聞データベース「聞蔵Ⅱ」で昭和34年8月25日~30日の千葉版を通覧し、【資料5】を見つけた。

『広報まつど[縮刷版]1950~1968』1959年の見出しを目視で確認→なし
菜の花ライブラリー( http://www.library.pref.chiba.lg.jp/nanohana/index.html )の「千葉県歴史関係雑誌記事索引」で「水上勉」で検索→【資料3】を確認。

【その他調査したが記述のなかった資料】
『千葉県警察史』 射撃場の記述なし
『松戸市史 下巻 2 大正昭和編』(松戸市誌編さん委員会編集 松戸市役所 1978)
『イラストまつど物語 ふるさと文庫』(おのつよし著 崙書房 1992)
『松戸風土記 市民の郷土史 Now books』(千野原 靖方著 ナウ企画 1977)
『クレー射撃 : テクニックとマナー』 (日本ハンター新聞社編 西東社 1962)
(国立国会図書館デジタルコレクション 図書館送信限定  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2496852 ) 
 p173-194(100コマ-111コマ)「日本クレー射撃場一覧」千葉県の射撃場掲載なし
『千葉県の戦争遺跡をあるく 戦跡ガイド&マップ』(千葉県歴史教育者協議会編 国書刊行会 2004)<C207/2>
p26「市川コース」の「ウォーキング・戦跡マップ」掲載。矢切駅も含まれた地図。
p30-31「じゅん菜池東方の大地が射撃訓練をしていた東練兵場であった。東練兵場の北端につくられた三角山と呼ばれた高い土手を標的に実弾を使って訓練したという。現在は静かな住宅地(中国分)となっている」との記載あるが、場所と時期が合わない。
なお、国府台地域の現在の文教地区は「戦後、兵舎の一部を使用して出発し、軍用地から文教地帯へ大変身した地域」(p13)とされていて、地域全体が軍用地であったようである。戦中の射撃訓練の場についてはp18にも記載あり。

(インターネット最終アクセス:2017年11月16日)
事前調査事項
(Preliminary research)
以下は質問者による事前調査事項、手掛かり。
・表の家「昔日の松戸」( http://omotenouchi.jp/CCP034.htm )「96 東京射撃クラブ-南花島」→松戸市南花島の東京射撃クラブとは別に、「昭和二十四年には下矢切の式場病院隣の化研病院付近の崖下に国際射撃クラブ(クレー射撃+若干の空気銃)」ができたとある。
・水上勉氏が松戸市下矢切に住んでいたのは昭和32年9月~昭和34年9月。
・昭和30年代に、その場所でクレイ射撃をしているのを見たが、それが県警の射撃練習場だったのか、民営の射撃場だったのか定かではない。
・水上勉氏の家の屋根の樋に散弾が飛んできたりしたので、周辺の住民たちが千葉県にその危険な状況を報告し、射撃場の撤退を要望に出向いたと耳にしたことがある。
NDC
日本  (291 9版)
武術  (789 9版)
参考資料
(Reference materials)
【資料1】『千葉県スポーツ史』(千葉県スポーツ史編集委員会編集 千葉県体育協会 1962)
中央図書館<C7802/C42/1> (9200341511)
【資料2】『千葉県スポーツ史 2』(千葉県体育協会 1978)中央図書館<C7802/C42/1-2>(9200341520)
【資料3】茂木朋子「水上勉の松戸での二年間 作品より”矢切”をひろう」(『東葛流山研究』17号 1999 p78-84)中央図書館<C232Na/N19/10>(0501087870)
【資料4】「民家に流れダマ 松戸の射撃場、閉鎖と決る」(『読売新聞(千葉読売)』1959(昭和34)年8月26日)p10
【資料5】「国際射撃場、近く移転 松戸、陳情に知事回答」(『朝日新聞(千葉版中部)』1959(昭和34)年8月25日)p10
キーワード
(Keywords)
射撃場
文学地理
千葉県ー松戸市
照会先
(Institution or person inquired for advice)
松戸市立図書館
郵政博物館資料センター
NTT情報通信史料センタ
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000233390解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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