このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
1000000931
事例作成日
(Creation date)
2017/12/26登録日時
(Registration date)
2017年12月27日 00時30分更新日時
(Last update)
2017年12月27日 00時30分
質問
(Question)
沖縄の「終戦の日」はいつか。諸説ある場合は、その日と理由。
回答
(Answer)
県の「慰霊の日」は司令官が死亡した6月23日と定めている(参考資料①~③)。「終戦」をいつととるかは、太平洋軍総司令官のニミッツ提督が公式に勝利宣言を発した日6月21日(参考資料⑤⑥)、米国の沖縄戦勝利宣言がなされた7月2日(参考資料⑤)、東京湾の戦艦ミズーリで降伏調印が行われた9月2日(参考資料⑤⑥)、28師団が降伏した9月7日(参考資料④⑧)など、さまざまな説がある。


『沖縄の援護のあゆみ』 (沖縄県生活福祉部援護課∥編、沖縄県生活福祉部、1996.3)
p94-122 「3 戦没者の慰霊、(1)慰霊の日の制定(「慰霊の日」設置に関する事項)」に下記の記載がある。
 p94 「『慰霊の日 6月22日』と定めたのは戦時の沖縄防衛第32軍司令官牛島中将及び同参謀長長勇中将の自決により完全に日本軍の指揮統帥が失われ、沖縄戦は事実上終了したことによる。この自決した日が「6月22日」であるとされていたが、これが「6月22日」ではなく「6月23日」であると、沖縄観光協会事務局長長山善三氏らの証言で「6月23日」に改められたものである。」の記述がある。
p120-121「沖縄観光協会事務局長山城善三氏の参考意見をもとに、さらに大蔵省官房調査課発行の覚書終戦財政始末第七巻[※⑦参照]による資料から当時の第三十二軍司令官牛島満中将が自決した日、これは昭和二十年の六月二十三日午前四時半頃ということがもっとも信頼できる事実であることを認めまして、このように改めた次第であります。・・・現行法の慰霊の日、六月二十二日と定めた当時の立法趣旨として慰霊の日を採用したのは、牛島中将がなくなった日をとったということになっております。」とある。

『沖縄縣史 第8巻 各論編7(沖縄戦通史)』 (琉球政府∥編、国書刊行会、1989.10)
p432 「第八節 終戦 : 捕虜収容所生活」に、「昭和20年(1945)6月23日の夜明けを前に、沖縄守備の第三十二軍(球部隊)の司令官牛島中将と参謀長長勇中将は、古式に従った割腹自殺を遂げた。そして、沖縄戦は終った(六月二十二日の夜半から二十三日の夜明けにかけて両将軍が自殺したと伝わったが、後に二十三日午前三時ごろと判明したので沖縄戦終了は六月二十三日と定められた)。」とある。

『沖縄大百科事典 上 ア?ク』 (沖縄大百科事典刊行事務局∥編、沖縄タイムス社、1983.5)
p255 「慰霊の日」の項に、「45年のこの日、第32軍司令官牛島満中将と同参謀長長勇中将が糸満の摩文仁で自決、日本軍の組織的戦闘が終った。県は毎年、この日に戦没者追悼式を行っている。」とある。


『沖縄大百科事典 上 ア?ク』 (沖縄大百科事典刊行事務局∥編、沖縄タイムス社、1983.5)
p546 「沖縄戦」の項に、「宮古島から第28師団の納見敏郎師団長、奄美島から加藤唯男海軍少将と高田利貞陸軍中将らが…無条件降伏を申し入れ、6通の文書に署名して正式に降伏したのは、9月7日である。したがって沖縄戦の終結日は、9月7日とするのが合理的であり、現にアメリカの記録にもそう書かれているものもある。」とある。


『定本沖縄戦』 (柏木/俊道?著、彩流社、2012.6)
p194 「6月21日夜、~同日21:00、アメリカ軍は日本軍の組織的抵抗が終了したとして、沖縄占領を宣言した。」、「続いて掃討作戦に切り替え、7月2日沖縄戦終了宣言が出される。」とある。
p196 「8月15日天皇が終戦の詔勅を発し、9月2日東京湾の戦艦ミズーリで降伏調印が行われ」の記述がある。

・その他

『沖縄戦を考える』 (嶋 津与志∥著、ひるぎ社、1997.10)
p172-178 「六・二十三のフィクション」の項に、「沖縄戦の終結日は、いろいろな説がある。六月十九日、六月二十一日、六月二十三日、七月二日、九月二日、これだけある。」
p175「六・二一にもちゃんと根拠はある…この日は、米太平洋軍総司令官のニミッツ提督が「(沖縄の)日本抵抗軍は六月二十一日戦闘を中止した」と全世界に向って公式に勝利宣言を発した日だからだ」
「公刊戦史に基づいて沖縄戦の終結日を誌すとすれば、以上の七月二日、六月二十一日、六月十九日のいずれかをとるしかない。」の記述もみられる。


【参考資料】

『覚書終戦財政始末 第7巻 沖縄・満洲・支那・南方の終戦』 (高石 末吉∥[編]、大蔵省大臣官房調査課、[1961.11序])



⑧インターネットの情報(2017.4.21現在)
・「9月7日」
沖縄市HP>平和事業>平和学習コンテンツサイト「沖縄市民平和の日」>平和の日TP>市民平和の日
http://www.city.okinawa.okinawa.jp/heiwanohi/2519
→ 28師団が降伏文書に調印した日。「沖縄市では、沖縄戦が公式に終結した『9月7日』を『沖縄市民平和の日』と条例で定めました。」
→ 「9月7日は沖縄市(旧越来村森根)で行われた歴史上の記念日」の項に、「9月7日、宮古島から第28師団長の納見敏郎中将、奄美大島から高田利貞陸軍少将、加藤唯男海軍少将らが降伏調印のために嘉手納基地(旧越来村森根)に召還され、3将軍は、アメリカ第13軍司令官スティルウェル大佐に対し、「南西諸島の全日本軍を代表して無条件降伏」を申し入れ、6通の降伏文書に署名して正式に降伏しました。名実ともに沖縄戦が終わったのです。」とある。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
1 沖縄の援護のあゆみ 沖縄県生活福祉部援護課∥編 沖縄県生活福祉部 1996.3 K369/O52 p94-122

2 沖縄縣史 第8巻 各論編7(沖縄戦通史) 琉球政府∥編 国書刊行会 1989.10 K201/O52/8 p432

3 沖縄大百科事典 上 ア?ク 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/1 p258、546

4 定本沖縄戦 柏木/俊道?著 彩流社 2012.6 K96/KA77 p194、196

5 沖縄戦を考える 嶋 津与志∥著 ひるぎ社 1997.10 K96/SH35 p172-178

1 覚書終戦財政始末 第7巻 沖縄・満洲・支那・南方の終戦 高石 末吉∥[編] 大蔵省大臣官房調査課 [1961.11序] K342/TA35/7
キーワード
(Keywords)
沖縄戦
終戦日
終結日
慰霊の日
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000227728解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter
このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!