レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/8/11
- 登録日時
- 2017/11/27 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:32
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000555
- 質問
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解決
【舳倉島旧記について】 『能登志徴 下編』P133に出典として「舳倉島旧記」が出ているが、翻刻本があるのかどうか知りたい。
- 回答
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・「舳倉島旧記」について、国立国会図書館、国書総目録のサイトで所蔵館を検索したが、所蔵館なし。
・『輪島市史 通史編・民俗文化財編』(119563391)P266「海士の進出」の項に
「舳倉島へ海士が進出するようになったのは近世初期からであるが、その時期については諸説があり一定していない。それらのなかで最も有名なのは「舳倉島旧記」の記載であるが、現在その所在は確認されておらず、森田柿園の『能登志徴』などによってその要約を知りうるのみである。しかし、この記事がどこまで史実として信用できるであろうかは疑問である。海士に関する最も古い文書として慶安二年(1649)の海士又兵衛の屋敷拝領願(資二、三八二頁・資四、二四頁)があり、これには次のように海士の来歴がのべられている。」とある。
海士又兵衛の屋敷拝領願は、『輪島市史 資料編 第2巻』(119563417)P382~383と『輪島市史 資料編 第4巻』(119563435)P24に収録されている。
参考となるレファレンス協同データベースの事例
「輪島の海女漁についての調査」(石川県立図書館)
【URL】http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000184588
・『能登志徴』の著者が作成した抜書集「続漸得雑記」(16.05-6-14)に「舳倉嶋之事」という記事が収録されているのが『加越能文庫解説目録 上巻』p.23で確認できる。「続漸得雑記」は近世史料館にて閲覧・複写(30円×2枚)が可能である。
・『能登志徴 下編』(11824807)巻七P134の「元禄3年越後国今町より人来て、海草を取事を教授す」という史実やその出典に関して、以下の文献を確認したが、『石川県立郷土資料館紀要 第6号 海士町・舳倉島』(128050359)P28に「能登志徴巻7,海女の来歴の項には「元禄三年越後国今町より人来て、海草を取事を教授す。(中略)享保8年村民の中に工夫を以てタモと云網を発明し、三ヶ年の間之を獲る事他人に倍す。後村民一同タモを作り多く猟す。」とあってサヨリタボを自製しているが、ヨドミタボもこの頃より使われたと考えられ、また、このタボはトガ松や樫の木など堅木の枝を輪にしたものである。」という記述がある以外、見つからなかった。
『石川県鳳至郡誌』(11824580)
『舳倉島・七ッ島』(119626428)
『石川県立郷土資料館紀要 第6号 海士町・舳倉島』(128050359)
『能登舳倉の海びと』(11824881)
『舳倉島の自然 能登の研究 第一編』(119550259)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000225470