レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 京都府立図書館 (2110031) | 管理番号 (Control number) | 234 | ||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2009/8/6 | 登録日時 (Registration date) | 2017年01月31日 00時30分 | 更新日時 (Last update) | 2022年06月29日 13時03分 | ||||||
質問 (Question) | 祇園祭の山鉾巡行が7月17日に行われるのはなぜか? | ||||||||||
回答 (Answer) | <資料1>『祇園祭細見 山鉾篇』(松田 元/著.郷土行事の会,1977)【1106213802】 「祇園社本縁録」が引用され、清和天皇貞観十一年(869年)に疫病が蔓延したため「六月七日六十六本の矛を建て(中略)十四日には洛中の男児および郊外の百姓を率いて神輿を神泉苑に送って祭を行った。これを祇園御霊会と号し、爾来毎歳六月七日・十四日を恒例となす」と、祇園祭(祇園御霊会)の起源についての記述がある。(p.1) <資料2>『祇園祭秘話』復刻版(緑紅叢書53)(田中緑紅/著.三人社,2019)【1110960554】 「貞観十七年(十一年ともいう)悪疫流行して納まらないので勅命により卜部日良麿が六月七日長さ二丈の矛を六十六本(我国の国数)立て同十四日洛中の男児郊外の百姓を率いて神輿を二条城辺にあつた神泉苑に送つて」「其後中絶していた事もあるが、円融天皇の天禄元年(皇紀一六三〇年)より恒例として行われる事になつた」とある。(p.28)(初出は「京都新聞に昭和二十三年に連載」の「祇園祭の変遷」) <資料3>『近世祇園祭山鉾巡行志』(祇園祭山鉾連合会,1968)【1101274452】 明治期に太陽暦が導入されてからの祭日の変遷について次のように記されている。「祇園祭山鉾巡行の定例日は古来太陰暦六月七日及び十四日の二度に分けて行われ」「明治六年(一八七三年)から太陽暦が採用されて以後暫くは祭日が一定しなかった」「現行の例日が七月十七日及び二十四日となっているのは、最初に七月十七日及び二十四日に行われた明治十年のそれぞれの日が丁度太陰暦六月七日、十四日に当った先例に拠ったものである」(p.1) <資料4>『祇園祭 写真記録』(祇園祭山鉾連合会/編集.祇園祭山鉾連合会,1978)【1100360674】p.182 <資料5>『祇園祭』(祇園祭編纂委員会,祇園祭山鉾連合会/編集.筑摩書房,1976)【1100377017】p.29、p42 <資料6>『まち祇園祭すまい 都市祭礼の現代』(谷直樹,増井正哉/編.思文閣出版,1994)【1100360997】p.75-80 これらの資料にも、祇園祭の祭日が神泉苑に神輿を送った神事に由来すること、旧暦の6月7日と14日としていたこと、明治の太陽暦採用によって7月17日と24日になったことが記載されている。 【】内は当館資料コード | ||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 京都関係資料のK386.16書架をブラウジングした。 | ||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | |||||||
登録番号 (Registration number) | 1000207793 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |