レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
| 提供館 (Library) | 北海道立図書館 (2110028) | 管理番号 (Control number) | 北方 16-0032 | ||||||||||||
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| 事例作成日 (Creation date) | 2016/11/09 | 登録日時 (Registration date) | 2016年12月22日 00時30分 | 更新日時 (Last update) | 2016年12月22日 00時30分 | ||||||||||
| 質問 (Question) | 北海道における稲作の起源について(どのようにして始まったか) | ||||||||||||||
| 回答 (Answer) | 1 米作りの試作について (1)『新北海道史 第2巻 通説』p247~254(“第2編 松前藩、第4節 諸産業の発展、6 農業 水田の試作”の項) ・本道は和人の常食である米を産しなかったが、これを造ろうとする努力は古くから行われていた。(中略)以上の記事(※元禄5〔1692〕年、東部亀田村における作右衛門による新田を試み、元禄7〔1694〕年、東部戸切地〔へきりち、今の上磯郡上磯町〕)における墾田の試みなど)によってみると、松前地方の米作はたびたび試みられ、ことに(松前)邦広はもっとも熱心であったが、ついに成功しなかった。 ・これは松前の低温な気候に適する米作技術が確立していなかったことのほかに、松前地方は船舶輻輳の地で、しかも積出す荷物は干魚のような量の多いものであった関係上、来航する船は船腹の都合から量の多いものを積み込んでくる要があったため、塩、米などは豊富に、安価に諸国から供給され、比較的不自由を感じなかったためである。その上米作よりも有利な多くの仕事があり、かつその時期が農作期と衝突するため、かかる技術を定着させる余裕が少なく、したがってこれに熱心でなかったことも考えなくてはならない(以上、p250)。 (2)『近世蝦夷地農作物誌』p2~11(“第1章 イネ、1 事始め”の項) ・松前蝦夷地でイネが最初に作られた一番古い記録と思われるものはとなると、『北海之殖産』第37号(明治26年)にみられる次の記事である。 → 松前藩主大に心を農事に致す。謂(おもえ)らく松前地たる津軽を接近の地にして気候風土大差なし。彼の地にして能く登熱す。何そ此地に登熱せさることあらんやと。寛文年間(1661~73)、文月及大野村の農家某に勧めて稲作を試みせしむ。之を当地方米作の嚆矢となす(以上p2)。 ・松前広長も書いている通り、元禄5年から天明元年から、ほぼ90年に亘って幾度となく試作し、そのつど失敗に終わった。その結果得た結論は、蝦夷地では晩生種だと収穫期が遅くなり過ぎて、収穫は期待できないが、早生種だと有望であること、しかし、国人の多くが、漁業に依存する度合が強く、農業への関心が極端に薄いのが、墾田の隘路になっているというのである(p4~5)。 ・要するに、蝦夷地は本州より単に緯度が高いから寒冷だというのではなく、未開のためうっ蒼とした原始林に覆われていて、日の光が地面に直接届かない。その結果地面がいつも湿潤で気温が上がりにくく霧も発生しやすい。秋は霜も早く降る。それでイネが傷んで不作になるというのである(p9)。 ・また、いまひとつの大きい原因は蝦夷地が鮭、鯡、昆布、ナマコといった海洋資源に恵まれているために、これらを採取、加工して本州に移出する。その得た金で米をはじめ、日常必要な財貨を入手することが出来るので「墾田の志」など起きないのだというのである(p9)。 (3)『開拓につくした人びと 2 北海道の夜明け』p254~267(“中山久蔵 北辺に定着した稲 地米ができるまで”の項) ・北海道での米の試作の歴史はつまびらかではないが、開拓使以前にも米がつくられていたことは確かで、1692年に、箱館近郊の亀田文月(ふづき)部落で、吉田作右衛門という人が試作したのが、記録のうえでの、もっとも古いものとされている。これは3年くらいで廃止されたとのことであるが、翌々年には、上磯でも試作されたといわれている。 ・北海道での水稲試作は、道南からはじめられてしだいに北上した。石狩地方での古い記録をたどってみると、もっとも古いのは、1858年、琴似で早山清太郎(せいたろう)が3アールに試作して玄米88キロ、翌年には、20アールから450キロを収穫したことである。 ・〔18〕61年には、浜益や留萌などで庄内藩が、水田73アールをひらき、白ひげ・米山もち・会津早稲・沢田早稲・宝早稲・極早稲・四十早稲などをつくったが、66年と69年との凶作で廃止したとのことである(以上、p259~261)。 (4)『北海道事始め』p179~184(“稲作”の項) ・今から268年前の貞享2年(1685)今の渡島国大野村字文月で吉田吉右衛紋という人が、水田若干を開いたのが北海道稲作の初めであると考えられています(p179)。 (5)『お米のはなし 平成7年度版』p4(“北海道の米作りの歴史”の項)※本書は児童書 ・明治の初め開拓のために、本州から移民としてたくさんのの農民や武士がやってきました。しかし、自分たちの食べ物を作るのがせいいっぱいのくらしでした。そのうえ、開拓使は寒い北海道では畑作や酪農中心の農業にしようと考えて、米作りは禁止しました。ですから、米は買ってしか食べられない貴重な物だったのです。 ・人々の米を作りたいという願いは高まり、1873年(明治6年)札幌郡島松村で中山久蔵(きゅうぞう)が石狩地方で初めて水田作りに成功しました(後略)。 ※上記(3)の同ページ下には、コラム欄(北海道米作り歴史すごろく)があり、以下の記述が掲載されている。 ○1692年(元禄5)渡島国文月(ふみつき)村で吉田作右衛門(さくうえもん)が米作りをする。(北海道のいな作の起源) ○1853年(安政5)琴似村、しのろ村、発寒村で早山清太郎が米作りをする。洪水でやめる。 ○1873年(明治6)中山久蔵が島松村で赤毛をまき米作りに成功(北海道いな作の父)。 2 米作りの起源について (1)『さっぽろ文庫 31 札幌食物誌』p49~50(“屯田兵村の役割”の項) ・米は万延元年(1860)篠路の早山清太郎が、琴似ケネウシベツ川のそばに三反歩(30アール)の水田を開き玄米5斗9升を得たのが、札幌近郊稲作の始まりという説(さっぽろ文庫7「札幌事始め」)にもあるが、明治6年、中山久蔵が島松で稲作を行ったのが本格的米つくりの始めと言われている(p50)。 (2)『北海道の稲作』p7~8(“北海道における稲作の始まり”の項) ・河内国(大阪府)石川郡春日村出身の中山久蔵は青雲の志を抱いて仙台藩の支配地であった白老と仙台の間を行き来していた。1871年米と塩、それと農具を持ち、農業の可能な地を求めて森林に入り、そこでたどり着いたのが現在の札幌の郊外、島松であった。 ・この年、久蔵は10haの水田を作り、そのころ大野村で栽培されていた“赤毛”の種籾を求め、水稲を試作した。これが石狩地方最初の稲作となった。2~3年後、水田は1haにまでなり、石狩地方に適する種籾の生産もできるようになった。やがて空知や上川地方からも種籾を求めて中山宅を訪れてくる者が増えていき、現在の主要な稲作地帯に広がっていった。 (3)『北海道事始め』p179~184(“稲作”の項) ・同じ年(明治6年)に篤農家の中山久蔵が島松で、永田一反歩を開いて以後水田の経営につとめ、渡島から取り寄せた津軽早稲の品種を改良して「赤毛」の種を栽培するに至って、本道中部以東に稲作の可能な基礎がつくられました。 | ||||||||||||||
| 回答プロセス (Answering process) | 以下の資料も参考資料として紹介する。 1『殖民公報 第12巻 第八十八号?第九十五号(大正五年一月?六年三月)』 (北海道出版企画センター 1989 請求記号:Z/SH/12 資料ID:1100934130 88号及び91号掲載「本道米作の起源(上下・)」(河野常吉)) 2『ほっかいどう百年物語』 (STVラジオ∥編 中西出版 2002.2 請求記号:281.04/HO/イ 資料ID:1106148941 p232~241(中山久蔵) | ||||||||||||||
| 事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||||||
| NDC |
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| 参考資料 (Reference materials) |
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| キーワード (Keywords) |
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| 照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||||
| 寄与者 (Contributor) | |||||||||||||||
| 備考 (Notes) | |||||||||||||||
| 調査種別 (Type of search) | 事項調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||||||
| 登録番号 (Registration number) | 1000204236 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 | ||||||||||||

