レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/12/21
- 登録日時
- 2016/04/01 00:30
- 更新日時
- 2017/07/12 07:34
- 管理番号
- 1000000852
- 質問
-
解決
沖縄戦中の沖縄本島における新聞の発行状況について知りたい。
- 回答
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①
『沖縄大百科事典 中 ケ~ト』(沖縄大百科事典刊行事務局 編、沖縄タイムス社、1983.5)
p500 「新聞統制」の項目で、「1県1紙を原則とする新聞統合は自発的な形を装いながら情報局の示達で強行され、沖縄は40年末、『琉球新報』『沖縄朝日新聞』『沖縄日報』の3紙を統合して『沖縄新報』と、奄美大島では、はじめ郡内の日刊・週刊紙、雑誌5紙をまとめて『大島日報』とし、さらに県紙『鹿児島日報』へ吸収されて名瀬にその支局が置かれた。」の記述がある。
②
『戦後沖縄の新聞人』(真久田 巧 著、沖縄タイムス社、1999.10)
p27-58 「高嶺朝光 卓絶した新聞人」の項目で、1931(昭和6、満州事変)年から1945(昭和20、沖縄新報の解体)年までの記述がある。
p55-56 「こうして発行を続けた「沖縄新報」も、戦火が激しくなるにつれ新聞を配ってくれる翼賛壮年団員や兵隊の数も減り、発行困難な状況になり、五月二十五日を最後に、ついに廃刊する。その日午前二時、社員らは一つのポケットに集まって「沖縄新報」の最後を話し合い、印刷機を壕の奥にしまい、穴を掘って活字を埋めた。ここに「沖縄新報」は解体し、戦前の新聞は終焉を告げたのである。」の記述がある。
③
『沖縄の新聞がつぶれる日』(沖縄フリ-ジャ-ナリスト会議 編、月刊沖縄社、1994.4)
p11-29 「沖縄戦直前と戦中での新聞発行 牧港篤三」の項目で、沖縄戦中の新聞発行状況の記述がある。
p28-29 「壕内で最後の新聞発行」で、「米軍が首里に迫ってくるのがひしひしと実感されるようになり、沖縄新報社の陣中新聞が刷上がるのをまって各壕に配達していた翼賛壮年団員や兵隊や、鉄血勤皇隊員(男子師範生徒)の数も、だんだん少なくなって、新聞発行は困難になってきた。(中略)牛島軍司令官から「新聞社の使命は終わった。軍は沖縄新報の解散の自由を認める」と遠まわしの通告を受けた新聞社の壕では高嶺朝光(代表)さんが社員幹部を集め「新聞社の陣中新聞づくりはこれで終わった。つまり、使命を終えて新聞社は解散する」とあいさつした。一九四五年五月二十三日は、新聞社が壕内で新聞を発行すること六十五日目、五月二十五日号にして終焉をむかえたわけだ。」の記述がある。
④
『沖縄大観』(沖縄朝日新聞社 編、月刊沖縄社、1986.1)
p233-234 「戦後の新聞界」の項目で、p233 「沖縄新報は沖縄戦中首里城にある壕内で決死の発行を続けていたのであるが、砲火を潜り弾雨を抜けての必死の活躍ぶりはさすがに報道人の崇高な責任感と真摯敢闘精神を遺憾なく発揮したものとして、住民から絶大な感銘をもって迎えられていた。同紙は首里失陥の直前すなわち昭和二十年五月二十四日まで日刊を続けてきたのであるが破局迫った沖縄の戦場では最早発行の継続をゆるさなくなり、五月二十五日以後発行を停止するの已なきに至ったのである。」の記述がある。
⑤
『新聞五十年』(高嶺 朝光 著、沖縄タイムス社、1973.4)
p312-315 「沖縄新報、最後の新聞」の項目で、p314 「五月二十五日の午前二時、沖縄新報社の私たちは一つのポケット(部屋)に集まって沖縄新報の最後を話しあった。若い社員たちは印刷機を壕の奥にしまい、穴を掘って活字を埋めた。壕で発行した最終刊の新聞が、どういう紙面であったか、私はおぼえておらず、また当時の新聞は一つも残っていない。とにかく、この日、沖縄新報社は解体し、ここに戦前の新聞は終焉を告げたのである。」の記述がある。
⑥
『新聞三十年』(沖縄タイムス社史編集委員会 編著、沖縄タイムス社、1979.10)
p2-4 「壕内での新聞発行」の項目で、p4 「一方、戦火が激しくなる前に、北部に疎開した南部住民や北部の住民に戦況を知らせるために、沖縄新報社は上地一史記者を北部に派遣していた。羽地村伊差川の銅山跡に平版印刷機を持ち込み、いざ仕事をはじめようというときに米軍の攻撃を受け、やむなく座安盛徳監査役、上地記者、比嘉良吉、伊差川昌永の四人がガリ版新聞の発行を企てた。部隊の無電情報や遊撃隊の提供する北、中、南部の戦況を山の住民に伝え、後にはザラ紙に複写したニュースを配り、日本軍や住民が下山する七月四日の前日までこの山中で陣中新聞の発行を続けた。」の記述がある。
⑦
『沖縄・八十四日の戦い』(榊原 昭二 著、新潮社、1983.5)
p118-119 資料⑥の引用がある。
⑧
『沖縄戦下の日米インテリジェンス』(保坂 廣志 著、紫峰出版、2014.5)
p34-37 「第1特務班と新聞社」の項目で、p36 資料⑥の引用と、民間人・宮城リョウゾー(元教師)による上地一史記者についての証言の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 中 ケ~ト 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/2 p500
- 2 戦後沖縄の新聞人 真久田 巧∥著 沖縄タイムス社 1999.10 K07/MA38 p27-58
- 3 沖縄の新聞がつぶれる日 沖縄フリ-ジャ-ナリスト会議∥編 月刊沖縄社 1994.4 K07/O52 p11-29
- 4 沖縄大観 沖縄朝日新聞社∥編 月刊沖縄社 1986.1 K302/O52 p233-234
- 5 新聞五十年 高嶺 朝光∥著 沖縄タイムス社 1973.4 K07/TA43 p312-315
- 6 新聞三十年 沖縄タイムス社史編集委員会∥編著 沖縄タイムス社 1979.10 K07/O52 p2-4
- 7 沖縄・八十四日の戦い 榊原 昭二∥著 新潮社 1983.5 K96/SA31 p118-119
- 8 沖縄戦下の日米インテリジェンス 保坂 廣志∥著 紫峰出版 2014.5 K206/H91 p34-37
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000190579