レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20141117
- 登録日時
- 2016/01/22 00:30
- 更新日時
- 2021/02/25 13:25
- 管理番号
- 中央-2015-07
- 質問
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解決
明治末期に日本橋でメイゾン鴻乃巣を開業した奥田駒蔵について調べている。
明治44年2月の時点で、電話番号が浪花5366であることは「白樺」の広告でわかっている。場所は日本橋区小網町の鎧河岸だが、地番が不明。電話帳等で地番の確認ができるか。
- 回答
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資料1、2、3には「鴻乃巣」、「メイゾン鴻乃巣」や「奥田駒蔵」氏の記載なし。
資料4のp.201には「奥田駒蔵」氏で「京橋四〇九九 奥田駒蔵 京、南伝馬、二ノ一二 西洋料理」の記載あり。
また、資料5、6には「奥田駒蔵」氏の記載があるが、自宅の住所なのか、店の住所なのか確認できず。
資料5の東京府下p.146に「(姓名)奥田駒蔵 (職業)西洋料理 (店舗又ハ住所所在地)日、通、一ノ七 (開業年月)4年前(後略)」とある。凡例がないので確定はできないが、「日、通」の「日」は「日本橋区」、「通」がつく日本橋区の当時の地名としては「通(町)」、「通旅籠町」、「通塩町」、「通油町」が見出せる。
資料6の東京府下p.151では奥田氏の記載は「(姓名)奥田駒蔵(職業)西洋料理(店舗又ハ住所所在地)京、南伝馬、二ノ十二 (開業年月)6年前(後略)」となっている。
関連資料としては、資料7の「鎧河岸のメイゾン鴻の巣」のp.179-186に記述があるが、開店当時の住所はなし。p.180に「・・・小網町二丁目の河岸通りの鎧橋の袂(たもと)に東京ではじめてのフランス風のカフェーらしいレストレントとバーを兼ねた「メイゾン鴻の巣」が開店しました。(後略)」とある。p.182「鴻の巣の広告 『スバル』より」の写真が掲載されているが、住所は「日本橋区小網町鎧橋畔」となっている。
また、p.183-184には、「メイゾン鴻の巣は、鎧河岸から白木屋(現在の東急日本橋店)の横丁に入った木原店(きはらだな)の食傷(しょくしょう)新道に移転しました。」とある。
この他、資料8、9で日本橋区小網町付近を調査したが、「メイゾン鴻乃巣」の記載は見出せず。
また、インターネットの情報では、中央区教育委員会が「メイゾン鴻乃巣創業の地」の案内板を立てているとのこと。「メイゾン鴻乃巣創業の地」でインターネット検索すると、看板の写真が見られる(最終アクセス日:2015.12.19)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 商業経営.商店 (673 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】東京中央電話局電話番号簿 (明治42年6月改) / 東京中央電話局/編 / 東京中央電話局 / 1909.9 <T/ 0・690/ 7/ 09-1>
- 【資料2】東京中央電話局電話番号簿 (明治42年10月15日現在調 追加) / 東京中央電話局/編 / 東京中央電話局 / 1909.11 <T/ 0・690/ 7/ 09-2 >
- 【資料3】東京中央電話局電話番号簿 (明治43年10月改) / 東京中央電話局/編 / 東京中央電話局 / 1910.12 <T/ 0・690/ 7/ 10>
- 【資料4】東京中央電話局電話番号簿 (大正6年4月改) / 東京中央電話局/編 / 東京中央電話局 / 1917.7 <T/ 0・690/ 7/ 17 >
- 【資料5】商工信用録 (第34版) / 東京興信所/編 / 東京興信所 / 1916.5 <RT/ 0・670/ 8/ 16-1 >
- 【資料6】商工信用録 (第36版) / 東京興信所/編 / 東京興信所 / 1917.6 <RT/ 0・670/ 8/ 17-1 >
- 【資料7】中央区区内散歩 史跡と歴史を訪ねて 第4集 / 中央区企画部広報課/編集 / 中央区企画部広報課 , 1998.3 <T/ 33・20/ 58/ 4>
- 【資料8】地籍台帳・地籍地図「東京」 第5巻 地図編 1 / 地図資料編纂会/編 / 柏書房 , 1989.3 <DRT/ 0・345/ 40/ 5 >
- 【資料9】東京市土地宝典 日本橋区 明治43年3月調査 / [金洪舎/編] / 金洪舎 , 1910 <DT/ 33・34/ 3002/ >
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000187396