レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年9月25日
- 登録日時
- 2015/09/24 17:30
- 更新日時
- 2015/10/17 12:15
- 管理番号
- 塩尻289
- 質問
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解決
塩尻市広丘野村の九里幅交差点近くにある松林についての歴史が知りたい。
- 回答
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すでにご覧頂いていた塩尻市誌、野村区誌の記述の他、いくつかの資料が見つかった。
【資料1】(塩尻市誌に参考文献としてあがっている)p72 市誌と同様の記述。昭和22年6戸、23年10戸、25年には76戸となった。29年に電灯が入り、30年に98.6haの開墾がなされた。 p73に「開拓のおばさんのお話」あり。
【資料2】 p165 「桔梗ヶ原の開拓」 昭和に入り、高出、郷原地域から東、北に開拓されていった地域は、戦後になり復員軍人、海外からの引揚者などによって人口増加し食糧難の切り抜け策として本格的に開墾された、との記述。郷原地区の開拓の苦労話の記述あり。
【資料3】p66 「昭和15年 桔梗ヶ原女子拓務訓練所が開設される」広丘村は訓練所を誘致するため5000坪の敷地を買い上げて県に寄付した、との記述あり。拓務訓練所の写真あり。
【資料4】p139 広丘地籍の桔梗ヶ原は、戦前ほとんどが林野であったが、終戦翌年の昭和21年から引揚者の手によって開拓がはじめられ、五年後には開墾面積92町歩となり、その大半はブドウが植えられたとの記述あり。
【資料5】p114 資料4と同様の記述
これらの記述から、戦前は広丘の広い地域が松林であったが、昭和に入り徐々に開拓が始まり、戦後本格的に開拓されたが、現在松林のある範囲が残されたようである。
- 回答プロセス
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塩尻市誌、野村区誌は確認いただいたとの事だったので、他の郷土資料を当たった。
塩尻市誌に参考文献としてあげられていた【資料1】のほか、野村地区周辺の区誌、桔梗ヶ原関連の資料を確認した。
その他確認した資料としては、『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 第3巻 現代上』p785に桔梗ヶ原の開拓の記述、p791広丘村の開拓の記述があったが、いずれも九里巾についての詳しい記述は含まれなかった。
- 事前調査事項
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塩尻市誌(p543)と野村区誌(p201-202)を確認した。
市誌によると、広丘村は昭和に入って高出・郷原から徐々に北へ開拓され、九里幅付近は桔梗ヶ原女子拓務訓練所が置かれたり、陸軍の物資集積所に使われたりした。終戦後人口が増加したことによる食糧難の切り抜け策として九里幅を除く約五十町歩の平地林が伐採・開墾されたとのこと。
区誌にも、松林が続いていたところが昭和二十三年の緊急開拓でその様相が大きく変わった、とある。
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】わたしたちの塩尻市 平成20年度版. 塩尻市教育委員会, 2008.
- 【資料2】郷原宿を愛する会 記念誌編集班. ふれあいの郷 ごうばら. 郷原宿を愛する会, 2014.
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【資料3】中川治雄 監修 , 中川, 治雄. 松本・塩尻の昭和史 : 真実と感動のドキュメント : 保存版. 郷土出版社, 1999. (信州の昭和史シリーズ ; 5)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002767476-00 , ISBN 487663436X -
【資料4】吉田 芳夫/著 , 吉田‖芳夫. 桔梗ケ原. 塩尻市教育委員会, 1974.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I020557898-00 - 【資料5】吉田芳夫. 桔梗原の話. 宗賀小学校, 1954.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000180509