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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2015-024
事例作成日
(Creation date)
2014/09/12登録日時
(Registration date)
2015年07月28日 19時09分更新日時
(Last update)
2015年10月02日 13時50分
質問
(Question)
寛政の改革を行った老中松平定信によって、旗本・御家人の学問奨励のため「学問吟味」という試験が寛政4年(1792年)から行われた。
「学問吟味」の第1回目と第2回目の合格者数と主な合格者名を知りたい。第2回目の合格者にはついては、遠山景晋、大田南畝以外の合格者を知りたい。
回答
(Answer)
第1回については、及第者数及び人名は不明だった。第2回について記述のあった次の資料を紹介した。
1 『国史大辞典 3』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1983)
 p201〈学問吟味〉
「第一回は寛政四年(1792)九月に湯島の昌平坂学問所の庁堂で実施し、同六年にも行われ(中略) 同六年二月施行の場合は応試者237人、及第者19人、同九年の場合は応試者249人、及第者23人である。(中略)(寛政六年時、『昌平志』による)」とあり。
2 『近世の学校』(石川謙著 高陵社書店 1957)
 p52「寛政期における学問吟味(註21)」受賞者の欄の第一回目「-」、第二回目「19」とあり
 p60「21 昌平志 巻第ニ 事実誌、寛政六年二月の条」
3 『昌平校と藩学 日本歴史新書』(和島芳男著 至文堂 1962)
 p100『国史大辞典 3』と同じ記述あり。
4 『学校の発達 特に徳川幕府直轄の学校における組織形態の発達』(石川謙著 岩崎書店 1951)
 p107「寛政四年九月の、第一回学問吟味の受験者は、280人であったが、このときには未だ褒賞制度がなかったらしい。寛政六年二月施行の第ニ回目の際には、受験者237人で、授賞者19人」とあり。
5 『江戸 2 幕政編』(大久保利謙編輯 立体社 1980)
 p95「昌平学科名録 中川得楼遺物」
 p96 寛政六年寅に19名の名前あり。(第二回の合格者名)
6 『内閣文庫所蔵史籍叢刊 特刊第2 〔8〕 視聴草』(汲古書院 1985)
 p237「十集之四 昌平学館登録名簿」
 最初に記録されているのは、寛政5年「学問所において素読御試御褒美者姓名」で6名(※)、次に「寛政六年三月晦日」に23名(※)、「寛政六年四月廿二日」に24名(※)の記録がある。※影印のため文字の判読が難しい。
7 インターネットで閲覧できる論文
橋本昭彦著「江戸幕府学問吟味受験者の学習歴 : 天保改革期以降を中心として」(『日本の教育史学 : 教育史学会紀要 32』p16-30 教育史学会 1989)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009800674  国立情報学研究所 2015/07/28最終確認)
 p17に「学問吟味の及第者については記録が残っておりその総数が明らかになっているが、 非及第者を含めた受験者の数が判明しているのは第1、2、3、14、18、19回の計6回だけである(表1 参照8)。(中略)学問吟味では、甲科、乙科、丙科、落第の4段階で成績の総合評定がなされており、落第以外はみな及第であった。甲科乙科には褒状と褒美の金品が下賜されたが、 丙科は褒状が与えられるだけであった。「昌平学科名録」の中には、 学問吟味全19回中褒賞が実行された計17回の甲科乙科全及第者481人の氏名がその肩書き等とともに記録されている。473人を数える丙科及第者の氏名等は、 現在みつかっている史料からは120余人しか判明していない(後略)」とあり。
※「表1 学問吟味成績別及第者数一覧」あり。
※『国史大辞典』の合格者数と異なる数値となる。(国史大辞典の場合、合格者は甲科、乙科の該当者の合計。) 

石井耕著「御家人と昌平坂学問所・学問吟味」(『北海学園大学学園論集 140』p157-176 北海学園大学学園 2009) ( http://ci.nii.ac.jp/naid/110007480362  北海学園 2015/07/28最終確認)
 p158「本稿は、寛政から享和・文化までの学問吟味の及第者について、おおむね文政から天保14(1843)年までの時期を対象とする。弘化元(1844)年以降の幕末期については、先行研究において、幕府の能力主義人事登用制度は確立したとみられている。なお、本稿における学問吟味の及第者の名簿は、「昌平学科名録」(大久保(1980))に依拠している。ただ、他の資料と照らし合わせて、誤字と見られるところは訂正している。(宮崎成身の『視聴草』十集之四に、「昌平学館登第名簿」があり、これには、丙科及第(御褒詞)まで掲載されている。丙科及第の場合、後の再受験者がいる。なお、天保4年までの掲載である。また、甲府勤番における学問吟味の結果も含む。昌平学科名録と僅かながら違いがある。」とあり。
回答プロセス
(Answering process)
『国史大辞典』で〈学問吟味〉の項を調べ、参考文献を調査した。
《CiNii Articles》( http://ci.nii.ac.jp/  国立情報学研究所 2015/07/28最終確認)を〈学問吟味〉で検索した結果からインターネット上で閲覧可能な論文の内容を確認し、参考文献を調査した。
学問吟味は寛政の改革の一環として行われているようなので、寛政の改革に関する資料を調べたが、該当の記述は見つからなかった。
調査済み資料
『旧事諮問録』(旧事諮問会編 進士慶幹校注 岩波書店 1964)
 「第6編 昌平坂学問所の事-附録・学問所規則覚書 / 石丸三亭」を確認したが、人名、数なし。
『寛政改革の研究』(竹内誠著 吉川弘文館 2009)
 索引よりp16-17に「学問吟味」の記述あり。ただし、該当する記述は見つからず。
『松平定信政権と寛政改革』(高澤憲治著 清文堂出版 2008)
 索引に「学問吟味」なし。
『江戸時代の古文書を読む 寛政の改革』(竹内誠〔ほか〕著 徳川黎明会徳川林政史研究所監修 東京堂出版 2006)
 「学問吟味」に関する記述なし。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 9版)
教育史.事情  (372 9版)
参考資料
(Reference materials)
『国史大辞典 3』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1983)
『近世の学校』(石川謙著 高陵社書店 1957)
『昌平校と藩学 日本歴史新書』(和島芳男著 至文堂 1962)
『学校の発達 特に徳川幕府直轄の学校における組織形態の発達』(石川謙著 岩崎書店 1951)
『江戸 2 幕政編』(大久保利謙編輯 立体社 1980)
『内閣文庫所蔵史籍叢刊 特刊第2 〔8〕 視聴草』(汲古書院 1985)
『日本の教育史学 : 教育史学会紀要 32』(教育史学会 1989) (( http://ci.nii.ac.jp/naid/110009800674  国立情報学研究所 2015/07/28最終確認))
『北海学園大学学園論集 140』(北海学園大学学園 2009.6) (( http://ci.nii.ac.jp/naid/110007480362  北海学園 2015/07/28最終確認 ))
キーワード
(Keywords)
日本-教育-歴史-江戸時代
昌平坂学問所
松平 定信(マツダイラ サダノブ)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000177819解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決

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