レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/06/01
- 登録日時
- 2014/12/22 00:30
- 更新日時
- 2016/01/26 12:25
- 管理番号
- 0000001055
- 質問
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解決
1, なぜ、石川県内の住所にだけ「イ、ロ、ハ」、「甲、乙、丙」、十二支や儒学用語などが使われているのでしょうか?
2, 「イ、ロ、ハ」、「甲、乙、丙」、十二支や儒学用語にはそれぞれの意味がありますか?
3, なぜ、「イ、ロ、ハ」はカタカナなのですか?
4, なぜ「~丁目」という表記に変えないのでしょうか?
5, 石川県内の住所表記の歴史を教えてください。
- 回答
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お問合せにつきまして、項目別でなく、全体的に回答させていただきたいと思います。
(1)住居表示については、「住居表示に関する法律(昭和三十七年五月十日法律第百十九号)最終改正年月日:平成一一年一二月二二日法律第一六〇号」
(法令データシステム http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&H_NAME=%8f%5a%8b%8f%95%5c%8e%a6%82%c9%8a%d6%82%b7%82%e9%96%40%97%a5&H_NAME_YOMI=%82%a0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S37HO119&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1 確認日2014-06-01)
によっています。
(2)『住所と地名の大研究』p134「1住居表示とは何か 不動産登記(地番)を流用する不便」という項目に、
「そもそも従来の地番を用いた住所の表示というのは、前述したように明治初期に地租改正で土地への課税のために付けた地番で「代用」してきたものだ。番号は土地所有の観点で並べられているため、必然的にその広狭・形態はさまざまで、広い土地を分筆すれば支号(枝番号)が発生し、合筆すれば欠番が生じるようになった。・・・そこで分筆や合筆などに左右されない、合理的な住所の表示方法が検討された。なお、この住居表示は、特に都市部の住居表示の改善のために実施されることを想定したもので、農漁村部などが対象外であることをおことわりしておこう。」とあります。
(3)上記より、石川県の住所に「イ、ロ、ハ」、「甲、乙、丙」、十二支や儒学用語などが使われている理由としては、住居表示により番地を変更しなかった地域において、地租改正の時に付与された「地番」にこれらの語が使われていたということが考えられます。
(4)地租改正の作業方針は、明治7年(1874)10月12日付けの県達373番で布達された「地租改正取調方心得」で示されてています。
この中に次のような項目があります。「(地所の)番号は、従来、本田畑・宅地・新開・・・・など、官有・共有・私有の区別なく、一村に所属する地所はすべて、適切な順序で各地所に「地押番号」を付けよ。」(『地租改正と割地慣行』p299)とあります。
(5)ところが、『地租改正と割地慣行』によりますと、石川県では、割地慣行(江戸時代公租を公平にするため各地で実施された土地割替制度。『国史大辞典 7』p769「地割制度」の項)があり、地租改正事業が難航したことが記されています。「・・・改組作業の根幹をなす、地押丈量も、他府県で往々紛議の原因となった収穫量の査定も、実質的にはやっていない。壬申地券交付のための地券調査の際と同様、地租改正でも、結局のところ、割地慣行を理由に、村方に丸投げする方式がとられている。ここに加賀・能登両国における地租改正の際立った特徴がある、といってよかろう。」(『地租改正と割地慣行』p325)とあります。
つまり、地租改正を経たのちも、村の慣行による古い土地の呼び方がそのまま残ったという可能性が大きいです。
(6)昭和37年の「住居表示に関する法律」により、住居表示を変更させた石川県内の自治体については、自治省の作成した『住居表示制度関係資料』に見ることができます。
この中に、昭和43年10月1日現在の「住居表示実施一覧表」によりますと、石川県内で住居表示を実施すべき区域とされているのは、金沢市と野々市町のみです(住居表示制度関係資料』p430)。
(7)金沢市については、『住居表示区域町名便覧』により昭和38年から昭和61年までの間の住居表示の変遷について収録されています。
(8)野々市町(現野々市市)については『野々市市統計書 平成24年度版』p173「主要年表」に、に昭和39年(1964)5月1日「本町地区の住居表示整備、新町名に変更」とあるのみで、詳細は不明です。
(9)その後は平成の合併によって住居表示の変更が行われていることが確認できます。
加賀市の場合(「合併後の住居表示」http://www.city.kaga.ishikawa.jp/article/ar_detail.php?ev_init=1&arm_id=301-0190-7003 確認日:2014-06-01)
しかし、近年の住居表示変更が地番の変更までを対象にしたものかどうかは不明です。
(10)なぜ~丁目という標記に変えないのかにつきましては、各自治体へお問合せください。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 地理.地誌.紀行 (29 9版)
- 参考資料
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- 1 住所と地名の大研究 今尾/恵介?著 新潮社 2004.3 318.1/10054
- 2 地租改正と割地慣行 奥田/晴樹?著 岩田書院 2012.10 K611.2/1007
- 3 国史大辞典 7 国史大辞典編集委員会?編 吉川弘文館 1986.11 R210.03/95/7
- 4 住居表示制度関係資料 自治省 [出版年不明] 318.3/85
- 5 住居表示区域町名便覧 金沢市∥編 金沢市 1986.7 K318.8/62
- 6 野々市市統計書 平成24年度版 野々市市総務部総務課?編集 野々市市 2013.3 K352.3/16/012
- キーワード
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- 住居表示
- 石川県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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「北陸中日新聞」2016年1月26日p13に、「イロハ小字、なぜ多い石川、争い避ける目的か「書類の記号定着」説も」という記事が掲載。
これには以下の説が掲載されている。
(1)民俗学者の柳田国男は著書「地名の研究」の中で、「石川県などは地租改正の当時、ほとんど全部の字以下の地名をイロハまたは甲乙丙丁にしてしまった」と説明。その理由として「昔の地名は風流に相違ないが往々にして家々の呼ぶところが一致せず、訴訟紛紜の種となりやすいために、地租改正を機として区割りを整理し、新たな地名と取り替えたのであろう」とつづっている。
(2)金沢星稜大の本康宏史教授は、石川県が出した八二年の布達(行政命令)に着目する。要約すると「従来、各地で呼ばれていた小字は、その土地固有の名称なので簡単に変えるべきではないのに、近ごろ地券面上でイロハ分けしたことから、従来の小字が消滅、または変更したものと理解した者がいると聞く」と記されているという。本康教授は「イロハはもともと、ある小字を示すのに書類上使った記号だったのに、いつしか住民らが実際の小字として使い始め、地域に浸透しおてしまったため行政側が追認したのかもしれない」と自説を語る。(中略)それを裏付けるのが、八五年の布達に記されている「地租改正の時に符号(イノ部・ハノ部等、種々の唱をもって地租改正時に便宜を設けた区画の抄)」(原文)の部分という。本康教授は「イロハは記号(符号)として、地租改正に便宜的に付けられた」とみる。(2016-01-26追加)
レファレンス事例「石川県の住所の番地の前に「らりるれ」「子丑寅」等かな地番がついていることに関する本はあるか。」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000080870 確認日:2016-01-26)もあり。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000165185