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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
仙台市民図書館 (2210011)管理番号
(Control number)
市民2014-事30
事例作成日
(Creation date)
登録日時
(Registration date)
2014年08月24日 11時47分更新日時
(Last update)
2016年11月11日 19時51分
質問
(Question)
郡山合戦の際の郡山城は、これまで茶(ちゃ)臼館(うすだて)のことだと言われてきたが、最近、稲荷館(いなりだて)という説もある。伊達家の資料で確認したい。
伊達側のいう郡山城はどちらのことか。
回答
(Answer)
 郡山合戦は、天正16年6月13日から始まり、同年7月21日和解した伊達軍(政宗)と蘆名(あしな)・相馬軍との戦である。『伊達治家記録 1』p420に郡山合戦の記述があり、頭注に「郡山城は現在の郡山市桃見台にあった。郡山氏の居館で伊達領の最南端の城である」とある。
 『伊達治家記録』では現在の桃見台となっているが、茶臼館と稲荷館とを隔てる夜討川は現在の地図では見当たらないため、どちらを指しているのか決定づけられない。伊達の資料にはどちらの言葉も記述がなく、伊達側からは「茶臼館」とも「稲荷館」ともいわず、「郡山城」としていたようである。
回答プロセス
(Answering process)
 質問者は郡山市から来館され、『郡山市史』『伊達政宗の研究』はすでにご覧になっていて、これらの資料は郡山側からの見解であるが、伊達側から見るとどうなのか、という質問だった。まず、郡山城のことを書いている資料を探し、茶臼館、稲荷館の場所を特定することにした。『伊藤肥前重信と郡山合戦』に「郡山合戦(窪田合戦)想定図」があったが、郡山城が現在のどこにあたるのか確認できなかった。『伊達政宗の研究』p64-p73に「郡山合戦」の項、『仙台叢書 第11巻』p70 に「安積郡山対陣」の項があったが、場所が特定できる記述は見つけられなかった。『伊達治家記録 1』p420で現在の場所が桃見台と確認できた。次に桃見台が茶臼館だったのか稲荷館だったのかであるが、郡山合戦想定図では、郡山城は夜討川の西にあり、『郡山・田村の歴史』p100においては「西ノ内の幕ノ内(夜討川の西側)と、駅前の陣屋(夜討川より東の街道寄り)とする説がある。……駅前陣屋の稲荷館とするのが妥当である。」とあることから、夜討川の西側が茶臼館と推察できる。これらの資料に加え、『会津・仙道・海道地方諸城の研究』p189、『梁川町史』p504、『伊達政宗の戦闘部隊』p135の郡山合戦の項も調べてみた。
 これらの資料を総合すると、郡山城はどちらの説も存在する。しかし、伊達家の資料からは、茶臼館、稲荷館のどちらのことばも見当たらず、『戦国史料叢書』の『伊達天正日記』p274で該当日の日記をたどってみたが、「郡山城」の言葉のみであった。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
『伊達治家記録 第1巻』 平重道/責任編集 宝文堂 1972年
『伊達政宗の研究』 小林清治/著 吉川弘文館 2008年
『伊藤肥前重信と郡山合戦』 古河芳一/編 富久山町郷土史研究会 1985年
『仙台叢書 第11巻』 宝文堂 1972年
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000158827解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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