レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月02日
- 登録日時
- 2014/02/06 17:52
- 更新日時
- 2014/02/06 17:52
- 管理番号
- 横浜市中央2355
- 質問
-
解決
割烹着の歴史について知りたい。
割烹着は、1906年頃、大学の学生が作ったのがはじまりというのを見た。
調理服としての扱いしか書いていないが、そのほかも知りたい。
- 回答
-
1 かっぽう着の歴史について
はじまりとしては、
1902年、赤堀調理教場で考案されたところまでさかのぼれるようです(1)(2)。
明治後半、松本幸が婦人の台所仕事に便利なように考案したという説(3)もあるようです。
(1)『平凡社 大百科事典』
3巻444頁「かっぽうぎ 割烹着」の項目に次の記述があります。
・1882年、東京の日本橋に初めて創立された赤堀割烹教場
(現赤堀料理学園)で考案された。
・2代目赤堀菊は当時次々に創立された女子大で教えた際に
これを紹介し、一般にも広まるようになった。
・1932年の大日本国防婦人会以来、各婦人会、団体で教練などで
着用された。
(2)「1882(明治15)年創立の赤堀割烹教場における調理教育と女性の活躍」
今井 美樹 學苑 845, 42-57, 2011-03-01
(CiNii PDF - オープンアクセス)
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0009745546
45-47頁「割烹着は、峯翁によって1902年(明治35年)に「婦人」の
調理者が調理しやすいよう工夫されて考案され、着用させた
(赤堀学園100年史編集委員会、赤堀1983.9.31.出雲1963.151)」
46頁写真2「赤堀割烹教場」の集合写真が掲載されています。
割烹着姿の女性が撮影されています。
写真は『月刊 食道楽』第1巻第5号(明治38年9月1日発行)、
有楽社(平野雅章監修『食道楽 第1巻』(第1期)(復刻版)
昭和59年4月5日発行、五月所蔵)所収のもの
42-43頁「赤堀菊(喜久)は赤堀割烹教場の調理指導担当者のほかに、
東京女子師範学校や東京女学館等の講師等もしている。」とありますが、
かっぽう着の歴史に影響を与えた具体的な学校名まで絞ることが
できませんでした。
(3)『国防婦人会 日の丸とカッポウ着』
岩波新書 / 藤井忠俊/著 / 岩波書店 / 1985.4
68頁「カッポウ着は、明治末期に松本幸が婦人の台所仕事に便利なように
考案し『婦人之友』に発表したもの」とあります。
(4) 『婦人之友五十年の歩み 自由学園女子最高学部卒業製作』
自由学園女子最高学部/編 / 婦人之友社 / 1953.9
18頁笠木幸子考案の割烹着のイラストが掲載されています。
2 調理服以外のカッポウ着着用例について
(1)『国防婦人会 日の丸とカッポウ着』
岩波新書 / 藤井忠俊/著 / 岩波書店 / 1985.4
料理服以外でカッポウ着が着用されている写真が掲載されています。
67頁「本会会員が割烹着の上に袈裟の襷標識をかけた扮装は、
純真なる主婦たる堅き決意とその特色を形の上に表し、
また形からも修養せんとするものでありますと共に、着物競争を防ぎ、
かつ活動を便ならしめんためです」と記載されています。
(2)「1882(明治15)年創立の赤堀割烹教場における調理教育と女性の活躍」
今井 美樹 學苑 845, 42-57, 2011-03-01
(CiNii PDF - オープンアクセス)
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0009745546
47頁「割烹着が考案されると、割烹着は活動面と保健衛生面で、優れた
「働き着」と評価された(赤堀学園100年史編集委員会、赤堀1983.9.31.
出雲1963.151)。割烹着はその後、都市中間層以上の家庭に置かれ、
主婦が調理のみでなく清掃・洗濯、またミシン使用の折などにも着用する
「働き着」となっている。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 衣食住の習俗 (383 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000148976