レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 鎌倉市中央図書館 (2310107) | 管理番号 (Control number) | 鎌中ー2014001 | ||||||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2006年03月23日 | 登録日時 (Registration date) | 2014年01月31日 16時04分 | 更新日時 (Last update) | 2015年12月07日 10時19分 | ||||||||||||||
質問 (Question) | 鎌倉の大仏が露座になったのはいつですか。 | ||||||||||||||||||
回答 (Answer) | いつ露座になったのか、詳しい時期ははっきりしていません。 これまでは、1495(明応4)年もしくは1498(明応7)年の地震で大仏殿が倒壊して以降と考えられていました。 ただし、最近では ◆『鎌倉大日記』によれば1369(応安2)年に大風で倒壊している。それ以後再建されたかどうかは不明。 ◆『梅花無尽蔵』の記載から、1486(文明18)年には既に覆堂としての大仏殿はなかったのではないか といわれているようです。 | ||||||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | ①鎌倉大仏について書かれた資料を見る。 明応地震の津波で大仏殿が倒壊して以降、再建されず、露座になっているらしい。 大仏殿を壊した津波をおこした地震については、明応4年と7年の二つの説がある。 ②明応4年と7年の地震について書かれた史料も確認して一緒に提示する。 明応4年の地震については「鎌倉大日記」 明応7年の地震については「会津塔寺村八幡宮長帳」「妙法寺記(上)」(いずれも続群書類従に所収) 明応4年の地震については、7年の誤記ではないかという説がある。 ③中世の地震被害についての資料を見ていたところ、大仏殿がもっと早い段階になくなっていたのではという説を紹介している文章を見つけた。 | ||||||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||||||||||
備考 (Notes) | ◆これまで明応7年の誤記とされていた「鎌倉大日記」明応4年の津波については、相模湾地震で、実際に津波があったという説も出てきた。 「明応四年の大津波を見た早雲」 http://www.sengoku-shizuoka.com/topics/izu/009/ (2014年2月26日確認) ◆参考:能代市立図書館 レファレンス 「鎌倉の大仏にはなぜ大仏殿がないのか」 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000045404 ◆参考:横浜市中央図書館 レファレンス 「明応7年に起きた地震について、神奈川県内の資料を探しています」 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000104441 | ||||||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000148750 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |