レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年01月23日
- 登録日時
- 2013/12/09 13:26
- 更新日時
- 2013/12/15 16:31
- 管理番号
- 2013-0006
- 質問
-
解決
民放のラジオ番組とテレビ番組の最初のものは何か。番組名を知りたい。
- 回答
-
以前レファレンス事例として登録した「初めてのラジオCM」を
参考に下記資料を確認した。
レファレンス協同データベース:管理番号:2011-0004
(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000086613)
1.図書を探す
・ラジオ番組
●請求記号:R102-UCH
『日本広告発達史 下』(内川芳美 編、電通、1980)
→p.120~121「初の民放「中部日本放送」、第一声を発射 」の記載あり。
→p.125に番組表もある。
この内容により、日本で初めての民放ラジオ放送が1951年9月1日
午前6時30分に開始されたことが分かった。
番組名は「朝の調べ」(音楽番組)
・テレビ番組
●請求記号:R362-TOK
『テレビ60年 in TVガイド』(東京ニュース通信社 発行 2012)
→p.26 「この年のテレビ界」年表から
『昭和28(1953)年2月01日にNHK東京テレビジョン放送局が、
8月28日に日本テレビ放送網㈱
が初の民間放送を開始した』
番組名
日本テレビ:「寿式三番叟」
NHK:「道行初音旅」
2.インターネットで確認
『中部日本放送ホームページ』
http://hicbc.com/whatscbc/playback/no1/index.htm
(2013年12月09日 確認 )
→「ラジオ開局その日 1951.9.1」
・AM 06:30 民放第一声 の項目に番組開始についての掲載あり。
『午前6時30分、宇井昇アナウンサーのやや興奮気味の第一声が
東海の空に流れた。期せずして拍手がわき起こる。
25年にわたったNHKによる一局体制が終わり、わが国最初の
民間放送の第1ページが開かれた瞬間であった。
民放初の番組は「朝の調べ」であった。宇井昇アナウンサーの
第一声に引き続き、「小鳥啼くハワイ」などを放送した。』
以下参考まで
・AM 06:55「服飾講座」
『五金洋品提供の「服飾講座」が、日本の商業番組第1号と
なった。五金洋品は番組提供のみで、コマーシャルは流さな
かった。服飾講座ではあったが、第1回の放送はフェルラーリ
作曲「聖母の宝石」をバックに、アポリネールの詩「ミラボー橋」
(堀口大學訳)をアナウンサー稲蔭千代子が朗読する内容で
あった。』
・AM 07:00 時報
『午前7時、服部時計店寄贈の時報装置が、「チンカラコンカラ」
の軽快なリズムの予報音楽に続いて正7時を報じた。
「精工舎の時計がただいま7時をおしらせしました」という
コマーシャル第1号が電波に乗った。
午前7時、正午、午後7時、10時の4回の時報は精工舎の提供で
流された。』
・AM 07:00 ニュース
『ニュースは、サンフランシスコ講和会議に出席する特命全権大使
吉田茂がハワイに着いたことを伝えた民放ニュースの第一報が、
わが国の独立を回復する講和関係のニュースであったことは、
偶然とはいえ、その門出にふさわしいものと言えた。
戦時中は軍の統制下に、戦後も公共放送のNHKのみだったラジオ
ニュースが、民間の手によって放送された、記念すべき15分間と
なった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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レファレンス協同データベース:管理番号:2011-0004
「初めてのラジオCM」
(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000086613)
- NDC
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- 放送事業 (699 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 民放ラジオ
- ラジオ番組
- ラジオCM
- テレビ局
- テレビ番組
- 照会先
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- 『中部日本放送ホームページ』
http://hicbc.com/whatscbc/playback/no1/index.htm
(2013年12月09日 確認 )
- 『中部日本放送ホームページ』
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000141669