レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月30日
- 登録日時
- 2013/11/30 13:52
- 更新日時
- 2020/04/22 16:14
- 管理番号
- 会津-5
- 質問
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解決
イタリアから贈られた白虎隊記念碑の文言は戦後削られ、後に復元されたそうだが、その経緯や背景について知りたい。①石碑を削った年月日②誰の命令で削ったのか。③石碑を削った箇所④復元した年月日⑤復元した理由⑥復元を行ったのは誰か。⑦「ファスケス」(ファシスト党のシンボル)を復元しなかった理由⑧参考文献を教えて欲しい。
- 回答
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①昭和22年(1947)9月21~23日②『会津大事典』では、会津若松に進駐したアメリカ駐留軍ニューヨーク部隊の命によるとある。『会津若松市議会史 年表編』には福島県がファシスト勲章を飾る必要なしとの見解を示し、会津弔霊義会もこの見解に沿い碑文を消すことに決定したとある。③碑文の全文を削り、碑に付いていた鉞(まさかり)を撤去した。④昭和60年1月⑤日伊協会の会員(当時)の仙波亨氏が5年に渡って「イタリア碑」について調査し、碑文の実物大の拓本コピーを入手した。それが元で会津弔霊義会が約40万円の費用をかけて復元に着手した。⑥会津弔霊義会。飯盛山・阿弥陀寺・長命寺の建造物と墓地の整備や管理、祭典行事を行っている団体。⑦不明⑧『会津大事典』『会津若松市議会史 年表編』『福島民報』『福島大学教育実践研究紀要 第18号』(「イタリア記念碑と十五年戦争下の会津の青少年教育」九頭見和夫)
- 回答プロセス
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まず、『会津大事典』で「白虎隊」と検索するが、該当項目が無かった。次に「飯盛山」と検索すると、「飯盛山イタリー碑」の項目があった。そこから、『会津歴史年表』と『会津若松市議会史 年表編』を確認。『会津若松市議会史』に削除と復元の記述があった。そこから、地元紙「福島民報」を調査し、回答に至った。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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会津事典編纂会 編纂. 会津大事典. 国書刊行会, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001781673-00 -
会津若松市議会 編. 会津若松市議会史 年表編. 会津若松市議会, 1995.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002429882-00 - 『福島民報』昭和60年1月
- 『歴史春秋』第21号 「日伊交渉における会津白虎隊記念碑 Ⅰ」仙波亨 (碑文の拓本コピーを入手した仙波氏の論文。残念ながらⅠのみで続きは無い。)
- 『歴史春秋』第43号 「昭和戊辰物語―古代ローマ・ポンペイ宮殿の円柱による白虎隊記念碑贈呈について―」小桧山六郎 (碑文の削除・復元に関する記述は無いが、記念碑が建立された経緯を紹介している。)
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会津事典編纂会 編纂. 会津大事典. 国書刊行会, 1985.
- キーワード
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- 白虎隊碑
- イタリア碑
- 飯盛山
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000141402