レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月21日
- 登録日時
- 2013/10/21 22:05
- 更新日時
- 2013/10/22 12:32
- 管理番号
- 20131021-12
- 質問
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解決
黄宗羲について知りたい。
- 回答
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黄宗羲(こうそうぎ) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%BB%84%E5%AE%97%E7%BE%B2/ (2013/10/21確認)
(1610―1695)
中国、清(しん)代初期の思想家、学者。字(あざな)は太沖(たいちゅう)、号は南雷、梨洲(りしゅう)。浙江(せっこう)省余姚(よよう)県の人。東林派官僚の子として生まれる。・・・
顧炎武(こえんぶ)、王夫之(おうふうし)とともに清初の三大思想家に数えられ、とくに史学に長じて浙東(せっとう)史学の祖と仰がれた。清末の変法運動に際して『明夷待訪録』が啓蒙(けいもう)に一役買ったことから、「中国のルソー」という異名もある。
黄宗羲 【こうそうぎ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E9%BB%84%E5%AE%97%E7%BE%B2 (2013/10/21確認)
世界大百科事典 第2版
こうそうぎ【黄宗羲 Huáng Zōng xī】 1610‐95
中国,明代末から清代初の学者,思想家。字は太沖,号は梨洲,南雷先生とも称せられる。浙江省余姚県の生れ。彼は宦官の魏忠賢の専権横暴を糾弾して獄死した東林党の黄尊素を父としていたので,幼少のときから強い政治意識をいだいていた。崇禎帝の即位(1628)の後,父の名誉は回復されたが,刑部で審問中の魏忠賢一味の許顕純を鉄錐で刺し,同じく李実の賄賂を暴露するなど,宦官派の罪行をきびしく追求した。さらに,当時,宦官派の残党である阮大鋮が政界に自派勢力を拡張しようと画策していたのを阻止するため,復社の社員を含む南京の学生148名を結集して,〈南都防乱公掲〉を発表して指弾した。
デジタル大辞泉
こう‐そうぎ 〔クワウ‐〕 【黄宗羲】
[1610~1695]中国、明末・清初の思想家・歴史学者。余姚(よよう)(浙江(せっこう)省)の人。字(あざな)は太沖(たいちゅう)。号、南雷。梨洲先生とよばれた。「明儒学案」を著して実証主義的な清朝史学の礎を築き、「明夷待訪録(めいいたいほうろく)」では為政者を批判、進歩的な政治主張を展開した。
大辞林 第三版
こうそうぎ【黄宗羲】
(1610~1695) 中国,明末・清初の学者。浙江省余姚の人。字(あざな)は太沖,号は梨洲。清代考証学の先駆者の一人。著「明夷待訪録」,明代学術史「明儒学案」,詩文集「南雷文集」など。
中国文化史大事典 / 尾崎雄二郎, 竺沙雅章, 戸川芳郎編集代表 東京 : 大修館書店 , 2013 ISBN:97844690128
p.361 こうそうぎ 【黄宗羲】
中国学芸大事典 近藤春雄著 大修館書店 1978 ISBN:4469032018
p.204 こうそうぎ 【黄宗羲】
黄宗羲年譜 / [清]黄炳垕撰 ; 王政堯点校 北京 : 中華書局 , 1993 (年譜叢刊) 7101010830
黄宗羲 / 山井湧著 東京 : 講談社 , 1983 (人類の知的遺産 / 市井三郎 [ほか] 企画 ; 33) 4061453335
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中世思想.近代思想 (125 9版)
- 中国 (222 9版)
- アジア (282 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000139302