レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20130601
- 登録日時
- 2013/08/21 16:12
- 更新日時
- 2013/10/30 12:48
- 管理番号
- 市川20130601-02
- 質問
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解決
市川も葛飾の一部であるが、「かつしか」という地名の由来が知りたい。
また、どこまでが「かつしか」だったのか古地図が見たい。
- 回答
-
地名の由来には諸説ある。
『角川日本地名大辞典 13 東京都』
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店1978)
p.192‐193 に「かつしかぐん」の地名の由来として
「武蔵野の東方に続く原野で葛が繁茂していたことにちなむという」(古事類苑・下総国旧事考)と記載。
郡域については現在の東京(葛飾区・墨田区・江東区・江戸川区)・千葉・埼玉にまたがるとあり、
古代・中世・近世の移りかわりが載っている。
同辞典の『8 茨城県』『11 埼玉県』『12 千葉県』にもそれぞれの地域での「かつしかぐん」の移りかわりが載っている。
葛飾区の公式サイト(http://www.city.katsushika.lg.jp/45/003401.html)には
『かつしかの地名と歴史』(葛飾区郷土と天文の博物館 2003)よりの引用として
「古代の「かつしか」は、旧南葛飾郡(葛飾・江戸川・墨田・江東区)と、千葉県市川・柏・流山・松戸・船橋市や
埼玉県栗橋および茨城県古河・総和市までおよぶ広い地域がその範囲でした。(略)
「かつしか」の「かつ」は丘陵や崖などを指し、「しか」は砂州などの低地の意味をもっています。
「かつしか」とは、利根川流域の右岸に低地、左岸に下総台地が広がる旧葛飾郡の地理的な景観から名付け
られたと考えられます。」とある。
また、古地図についてはGoogle で“古地図データベース”と “葛飾”で複合検索をすると
「国際日本文化研究センター」サイトの「所蔵地図データベース」
(http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1275.html)で
「東都近郊図 全」(1844)を閲覧できる。
図書では『嘉永慶応江戸切絵図』(人文社 1977)に「増補 東都近郊全図 (紙屋徳八版)」が収録されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000135548