レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月16日
- 登録日時
- 2013/03/26 10:28
- 更新日時
- 2013/04/03 14:29
- 管理番号
- 10-3A-201303-04
- 質問
-
解決
大国主神社に木津勘助の像があるが、何をした人か?
- 回答
-
木津勘助は、伝説的英雄で実像は不明。通説では、本名中村勘助で天正14(1586)年足柄山に生まれました。20代のはじめ木津村に住み、土木技術で豊臣秀吉につかえました。豊臣家滅亡後、木津川の治水・堤防作り・勘助島などの新田開発を進めました。寛永16(1639)年の大飢饉に際して、私財を投じて村人に分けましたが効果なく「お蔵破り」を決行して捕らえられました。葦島(大正区三軒家付近)に流され、新田開発に従事するも万治3(1660)年75歳で亡くなりました。真偽は別として、大阪の人に永く尊敬されていました。墓は唯専寺(浪速区敷津西)にあり、鴎町公園(浪速区敷津西)に勘助橋碑が建っています。
木津勘助像は、大正11(1922)年侠客3代目南福こと新野伊之助が建立しましたが、戦時中に供出されたため昭和29(1954)年新野嘉男氏ら「勘助翁彰徳会」が復元・建立したものです。
また、大正区の上八坂神社にも「中村勘助之碑」があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
-
- 『大阪人物辞典』 三善 貞司編 清文堂 2000 ISBN 4-7924-0499-1 <当館書誌ID:0000832804>
- 『浪速区史』 川端 直正編 浪速区創設三十周年記念事業委員会 1957<当館書誌ID:0000246444>
- 『大阪史蹟辞典』 三善 貞司編 清文堂 1986 ISBN 4-7924-2341-4 <当館書誌ID:0000214926>
- 『大正ガイドブック』大正区役所 2007<当館書誌ID:0011422725>
- キーワード
-
- 大阪府大阪市浪速区
- 大阪府大阪市大正区
- 木津勘助
- 敷津松乃宮
- 木津川
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000129681