レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年03月03日
- 登録日時
- 2012/10/24 12:53
- 更新日時
- 2012/11/02 22:10
- 管理番号
- 10-3A-201210-03
- 質問
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解決
此花区の舞洲について知りたい。
- 回答
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『此花いまむかし』p24~25によりますと、北港埋立地の造成という項目があり、廃棄物処理の焼却及び陸地部埋立が限界に達したため、必要とする埋立処分地を此花区地先水面とする事業が、1972年7月に認可決定されたという記述があります。事業内容は、埠頭用地、公園緑地、護岸等公共用地の造成を行うというものでした。廃棄物投入期間は、1973年から1980年までと予定されていました。当時の名称は北港北地区と記されています。その後については、『新修大阪市史第9巻』P34に、この北港北地区は、1987年に廃棄物の受入を完了し、1997年の大阪国体を目指してスポーツ施設が整備される予定と記されています。
舞洲(まいしま)という愛称は、朝日新聞1991年4月16日朝刊大阪市内版に、市民の公募により命名されたと書かれています。
現在の舞洲は、住所として北港緑地と北港白津という町名があり、北港緑地には、舞洲スポーツアイランドとして、舞洲ベースボールスタジアム、舞洲アリーナ、舞洲野外活動センター等があり、北港白津には、環境局舞洲工場、舞洲スラッジセンター等の施設があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 『此花いまむかし』此花区創設50周年記念事業実行委員会 1975 <当館書誌ID:009001064>
- 『新修大阪市史第9巻』新修大阪市史編纂委員会編 大阪市 1995 <当館書誌ID:0000536034>
- 『此花コロンブスマップ―此花区制80周年記念―』 大阪市此花区役所 2005 <当館書誌ID:0011012218>
- 商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞 一部記事写真閲覧可) 」
- キーワード
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- 大阪府大阪市此花区
- 舞洲
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000112920