レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 埼玉県立久喜図書館 (2110009) | 管理番号 (Control number) | 埼浦-2012-016 | ||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2011年12月07日 | 登録日時 (Registration date) | 2012年05月21日 16時41分 | 更新日時 (Last update) | 2012年07月31日 17時44分 | ||||||
質問 (Question) | 北条氏邦の部下で、鉢形城にいた富永能登守助盛(後に猪俣邦憲と名乗っている)と、小田原北条氏の部下で、上福岡(現在のふじみ野市)の城山にいた富永善左衛門との関係を知りたい。 | ||||||||||
回答 (Answer) | 富永能登守助盛と富永善左衛門の関係の記述がある資料は見つからなかった。 | ||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 自館目録を全項目〈富永能登〉〈助盛〉〈富永善左衛門〉で検索するが、情報なし。 自館目録を全項目〈猪俣邦憲〉で検索する。 『論集戦国大名と国衆 3 北条氏邦と猪俣邦憲』(岩田書院 2010) p157-176「猪俣能登守について」 猪俣邦憲の記述はあるが、富永善左衛門との関係については記載なし。 自館目録を書誌種別埼玉資料&全項目〈富永〉で検索する。 『城山と富永善左ヱ門 市史調査報告書 7』(井田実著 上福岡市教育委員会 1995) 富永能登守助盛との関係についての記述なし。 《NDL-OPAC》を〈富永氏〉〈富永家〉で検索する。 「加賀・能登の民俗 小倉學著作集 3」(小倉學著 三橋健監修 瑞木書房 2005) 県立図書館未所蔵のため、内容は確認できなかった。 《NACSIS》 を〈富永能登〉〈助盛〉〈トミナガゼンザエモン〉〈富永氏〉〈富永家〉〈猪俣邦憲〉で検索する。 該当の記述がある論文等はなし。 《Genii》を〈富永能登〉〈助盛〉〈富永善左衛門〉〈トミナガゼンザエモン〉〈富永氏〉〈富永家〉〈猪俣邦憲〉で検索する。 該当の記述がある論文等は見当たらず。 《埼玉雑索》を〈富永〉〈猪俣〉で検索する。 井田実「江戸衆のひとり富永善左衛門」(『埼玉史談 31巻2号』p39-44 埼玉県郷土文化会 1984) 富永善左衛門について記述があるが、富永能登守との関係については記述なし。 岡田博「猪俣能登守邦憲考(1)」(『埼玉史談 43巻1号』p1-8 埼玉県郷土文化会 1996) 岡田博「猪俣能登守邦憲考(2)-大きくなり過ぎた後北条氏」(『埼玉史談 43巻2号』p17-24 埼玉県郷土文化会1996) 岡田博「猪俣能登守邦憲考(3)-秩父と猪俣党」(『埼玉史談 43巻3号』p8-15 埼玉県郷土文化会 1996) 岡田博「猪俣能登守邦憲考(4)-余話」(『埼玉史談 43巻4号』p7-14 埼玉県郷土文化会 1997) 岡田博「猪俣能登守邦憲考補遺-猪俣と悪名」(『埼玉史談 44巻1号』p18-25 埼玉県郷土文化会 1997) 岡田博「猪俣能登守邦憲考補遺(2)-幕臣猪俣家系図から」(『埼玉史談 44巻3号』p25-31 埼玉県郷土文化会 1997) 岡田博「猪俣能登守邦憲考補遺(3)-子孫の系図から」(『埼玉史談 44巻4号』p14-21 埼玉県郷土文化会 1998) いずれも富永善左衛門との関係についての記述なし。 《埼玉人物文献索引》を〈富永〉で検索する。 『新編埼玉県史 通史編 2』 p551「『小田原衆所領役帳』に見える河越・松山周辺の知行地」 「富永善左衛門」が見られるが質問と関係なし。 p581「主な給人の知行と軍役」に「猪俣邦憲判物写」あり。質問と関係なし。 p1087「猪俣邦憲」の名があるが、質問と関係なし。 『論集戦国大名と国衆 3 北条氏邦と猪俣邦憲』の参考文献より下記の資料を調査した。 浅倉直美「「吉田系図」所収の北条氏邦関係文書について」(『埼玉地方史 第14号』p18-29 埼玉県地方史研究会 1983) 富永氏に関する記述なし。 《レファ協DB》を〈富永善左衛門〉で検索する。 事例「富永善左衛門について知りたい。」(埼熊-2010-048)があり、その参考文献を調査する。( https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000075231 国立国会図書館 2011/12/02最終確認) 『上福岡市史 通史編 上』(上福岡市教育委員会編 上福岡市 2000) 富永氏p368、382、400~404、411、414、426、466。 富永善左衛門p382、383、394、396~398、400、403、411、413、426、442、443。 富永氏あるいは富永善左衛門の名は見えるが、富永能登守助盛との関係については記述なし。 『上福岡市史 資料編2 古代・中世・近世』(上福岡市教育委員会編 上福岡 1997) p198「富永家由緒書」 p200「富永家系図」 いずれも富永善左衛門は記述があるが、富永能登守助盛については記述なし。 『新訂寛政重修諸家譜 7』(続群書類従完成会 1965) p360-376 宇多源氏佐々木庶流 富永 富永善左衛門(守定と直信)はあるが、「助盛」はなし。 『城山と富永善左衛門』(前掲資料) 『後北条氏家臣団人名辞典』 (下山治久編 東京堂出版 2006) p445「守重」の項 富永能登守助盛との関係については記述なし。 『小田原衆所領役帳 日本史料選書 2』(杉山博校訂 近藤出版社 1969.8) p89に富永善左衛門あり。富永能登守助盛との関係については記述なし。 《Google》を〈富永善左衛門 & 富永能登守助盛〉で検索し、国会図書館の「リサーチ・ナビ」から下記の資料を調査した。( http://rnavi.ndl.go.jp/books/2009/09/000001513647.php 国立国会図書館 2011/12/06最終確認) 『戦国大名家臣団事典 東国編』(山本大編 小和田哲男編 新人物往来社 1981.8) p304 富永能登守(とみながのとのかみ) 「実名は不詳。北条氏邦の臣。天正七年(一五七九)段階で氏邦の奉者を勤めていた。」 p304 富永善左衛門(とみながぜんざえもん) 「実名は不詳。江戸衆の一人。武蔵入東郡福岡などで四十八貫六百二十三文と、御蔵出から二十貫を給された(『役帳』)。」 二人の関係についての記述はなし。 | ||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) | |||||||||||
キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 個人 | ||||||
登録番号 (Registration number) | 1000106265 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 未解決 |