レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年04月13日
- 登録日時
- 2012/03/29 14:10
- 更新日時
- 2023/03/22 16:17
- 管理番号
- 蒲郡-2010-04132-A
- 質問
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解決
徳川家康が今川側に人質でとらわれる際に通ったルートを探している。蒲郡付近で何か残っているものはないか。
- 回答
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『蒲郡春秋』p68,『蒲郡市史 本文編2』p459
- 回答プロセス
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「蒲郡の1500年代の主要道路の載っている地図などはないか」という質問を受けた。主要道路をなぜ探すのかというと、徳川家康が今川側に人質でとらわれる際に通ったルートを探しているという。陸路では東海道などあるが、当時織田方の領地でとおるのはできなかったはず、とのこと。それなら別の道が必ずあるはずなので、道ののっている資料が見たい、とのことだった。 1.蒲郡の郷土話として、「犬飼」という港から今川方に人質に行くという話しがあるが、それとは違うのか確認。たぶんこれであるとのこと。『蒲郡春秋』p.68に記述あり。『蒲郡市史 本文編2』p.459~p.461に記述あり。
- 事前調査事項
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蒲郡の郷土話で「犬飼港」から徳川家康が人質に行く、という話がある。(記念碑が残っている)そこで聞いた太鼓の音が、チャラボコの語源となったといういわれもあり、参考資料としてよく使うものだった。
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 参考資料
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- 『蒲郡春秋』蒲郡青年会議所,1995
- 『蒲郡市史 本文編2』蒲郡市,2006
- キーワード
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- 徳川家康
- 犬飼湊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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その後、『蒲郡市誌 資料編』p15「八劔神社並武内姓の由来」に、「天文十六年八月二日岡崎の城主徳川広忠公の御長男竹千代君、子細あって駿州今川家へ赴セ給ふ時、此浜より吉田迄御船に召さるる折…」とあり、三谷の港(浜?)から船出した可能性もあることがわかった。
中日新聞2023年3月12日22面県内版に「あいちの民話を訪ねて 〇100〇 幼い家康を見送った港」という記事が出た。「三河物語」には、竹千代が駿河へ向かう際、西郡から船に乗ったとの記述があるが、「犬飼湊」という文字は書かれておらず、当時三河を代表する海運拠点のひとつだったため、ここから船出したと伝わったのでは、と書かれている。
蒲郡に伝わる民話に、
「駿河への人質に出される竹千代が、犬飼湊の辺りから軽快な太鼓ばやしが聞こえた。哀れな竹千代を思って、村人たちがたたいた太鼓の音だった。大人になった家康がこの地を訪れた時、昔を思い出し村人に「あの太鼓は何か?」と聞くと、名もない太鼓だったため村人は戸惑ったが、「チャラボコ」と音がするので「チャラボコ太鼓」だと答えた。以後、この名で打ち鳴らすように命じたという。」
というものがあるが、こちらも実際に聞いたことを示す資料はない、と学芸員が答えている。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000104530