レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年12月01日
- 登録日時
- 2012/01/24 10:02
- 更新日時
- 2012/03/27 17:42
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2011-032
- 質問
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未解決
名古屋市瑞穂区に密柑山町という地名があるが、昔の地図では「蜜柑山」という文字だったと記憶している。なぜ「蜜」ではなく「密」の文字が使われるようになったのか知りたい。
- 回答
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昔この辺りに蜜柑畑があったことが地名の由来であるようですが、「蜜」ではなく「密」の文字を使用している理由を示す資料は見つかりませんでした。ただ、「明治十五年 愛知県郡町村字名調」(『愛知県地名集覧』)では彌冨村の字名に“櫁柑山”とあり、「櫁」の文字が使用されていました。また、名古屋市調査課による昭和2年の『名古屋市町名及字名簿』では南区彌富町の字名に“密柑山”とあることから、この頃には「密」の文字を用いていたことがわかります。
- 回答プロセス
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(1)まずは名古屋の地名に関する参考図書などで「密柑山町」を調べてみると次のようにありました。
・『角川日本地名大辞典』 → “町名は旧字名によるか。昔、この辺りが蜜柑畑だったことからこの名が生まれたという。”
・『なごやの町名』 → “町名は弥富町の字名による。丘陵地であったこの辺りがかつて蜜柑畑として利用されており、それにちなんでこの名がつけられたといわれている。(『町名の由来』)。”
・『町名の由来』 → “昔、このあたりは山で、密柑畑になっていたところからこの名が付けられたようである。”
(2)上記の資料から「密柑山町」は昭和7年~現在の町名であることがわかりました。質問者はできれば地図でも確認したいとのことでしたので、昭和7年前後の地図で「密」と「蜜」のどちらの文字を使用しているか確認してみます。『明治・昭和東海都市地図』(柏書房 1996年)には明治24年測図、昭和12年測図、昭和28年修正測量の地形図があり、そのうち昭和12年のものには「蜜柑山町」の文字が、昭和28年のものには「密柑山町一丁目」・「蜜柑山町二丁目」の文字がありました。
(3)昭和28年のものでは一丁目(「密」)と二丁目(「蜜」)の文字が異なり、植字の誤りの可能性も考えられます。そこで昭和7年の名古屋市公報を確認してみると、昭和7年8月1日施行で「密柑山町一丁目」・「密柑山町二丁目」(両方とも「密」)となっていました。また、名古屋市公報では「密柑山町」の旧字名として「密柑山」とありました。
(4)さらに昭和7年以前の字名について調べてみると、「明治十五年 愛知県郡町村字名調」(『愛知県地名集覧』)では彌冨村の字名に“櫁柑山”とありました。また、名古屋市調査課による昭和2年の『名古屋市町名及字名簿』では南区彌富町の字名として“密柑山”と書かれていることがわかりました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 参考資料
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- 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』 角川書店 1989年 p.1268
- 『なごやの町名』 名古屋市計画局/[編] 名古屋市計画局 1992年 p.400
- 『町名の由来』 瑞穂警察署歴史探訪クラブ/編 瑞穂警察署歴史探訪クラブ 1979年 p.94
- 『明治・昭和東海都市地図』 清水靖夫/編集 柏書房 1996年 p.194-199
- 「名古屋市広報 第223号 昭和7年8月1日」 p.507-508
- 『愛知県地名集覧 (地名学選書)』 日本地名学研究所/編 日本地名学研究所 1969年 p.248
- 『名古屋市町名及字名簿 昭和2年1月』 名古屋市調査課 1927年 南区11丁
- キーワード
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- 地名―名古屋市
- 密柑山町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000100449