レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/1/31
- 登録日時
- 2011/04/11 02:00
- 更新日時
- 2021/02/25 14:03
- 管理番号
- 中央-2010-19
- 質問
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以下の文章中の川っぷちの通りがどの辺りになるのか知りたい。明治25・6年頃の東京についての文章である。「芝の将監橋(海のそばだったらしい)から豊岡町へ帰る。河岸通りを通り、赤羽根橋迄行き、そして三田へ出る。当時は川っぷちの通りであった。」
- 回答
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資料1で確認したところ、将監橋(しょうげんばし)は「古川に架かる橋。現行の港区芝大門2丁目・芝公園2丁目と芝2丁目を結ぶ。」(p.379)、赤羽橋は、「古川(別称は赤羽川・金杉川・新堀川)に架かる橋、桜田通りが通り、港区芝公園2丁目・東麻布1丁目と芝3丁目・三田1丁目を結ぶ」(p.56)と記載されている。
将監橋、赤羽橋ともに古川に架かる橋であるので、川っぷちの通りとは、古川沿いをさすと思われる。
古川は、「都心西部から東部にかけて流れる川。国電渋谷駅より下流を特に古川という。(中略)渋谷川として、天現寺付近で港区に入り、青山墓地附近を水源とする笄川を合わせて古川となり、南麻布・三田・浜松町駅南側から東京湾へ入る金杉橋付近を金杉川といい、同じく赤羽根付近を赤羽川ともいう。」(p.634)とある。
また、豊岡町とあるのは、三田豊岡町と推定され、同じく資料1で確認したところ、「現行の三田4丁目3・6番、7番2~32号、の三田5丁目2~12番、13番3~13号、14番1~14号・18~20号」(p.674)とある。
明治25、6年に近い芝区の地図としては資料2を所蔵している。将監橋、赤羽橋、三田豊岡町とも確認できた。
古川は、首都高速都心環状線の下に現在も流れており、明治30年頃と川筋はあまり変わっていないようである。お手近にある東京の区分地図やGoogle Mapなどでも位置は確認できることを案内。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】 角川日本地名大辞典 13 東京都 / 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 . 3版 / 角川書店 , 1998.11 <RT/0・200/112/1998>
- 【資料2】 東亰市芝區全圖 [ 地図資料 ] : 明治二十九年十二月調査 / [東京郵便電信局∥編] / 東京郵便電信局 , 1896.9 <T/35・290/5005/1896>
- キーワード
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- 東京都
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000084417