レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2011/01/22 14:31
- 更新日時
- 2024/01/18 10:31
- 管理番号
- 中央 参考 187
- 質問
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小倉に「じんだ煮」という名産品があると聞きました。「じんだ」という言葉の意味や語源、小倉との関係などがわかる資料を紹介してください。
- 回答
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「じんだ」は糠味噌の別名です。米糠に塩を加えて発酵させたもので、糂粏・糝汰と書きます。
味噌漬けはみそを漬け床にして、野菜や魚などをつけ込み、みそ特有の風味を材料に移したもの、味噌煮は味噌を入れて煮たものです。
語源について柳田國男は「糠味噌、関西でジンダともいう粗悪な味噌は、本来はその材料にする粃から出た名であったらしい。今日は漬物の床にしか使わぬようになったが、以前は食料であり」と「食料名彙」に書いています。
鎌倉末期の随筆『徒然草第九十八段』には「後世を思はん者は、糂粏瓶一つも持つまじきことなり」と書かれています。
江戸時代、小倉藩主だった細川忠興は寛永三(一六ニ六)年十二月二十二日付けの三男忠利に出した手紙に「ぬか味噌曲物一ツ給候、一段満足申候」と記しています。このことから小倉では古くからぬか味噌物が食されていたことがわかります。(『細川家資料ニ』一七九頁)
最近では「いわしのじんだ寿司」や「いわしのじんだ巻」などが新しい北九州名産品として開発されました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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昭和に入り名産品として売り出し「ぬかみそ炊き・じんだ煮」を扱ったところでは、根拠なく小笠原時代に持ち込まれたものと口承していたので皆その情報を信じていました。その後回答にあるように細川家の書簡を用いた説が定説になり当時の新説として書き記された本も所蔵しています。「ぬか味噌を好む記述が数々残されており、宮津(忠興の旧城は丹後国宮津であった)も魚のぬか漬けが食されている。ぬか味噌煮は豊前(小倉地区のみ)の郷土食であり持ち込んだのは忠興であるようだ。」(『巌流島から霊巌洞へ』末吉 駿一/著)。そして細川氏持ち込み説が主流となりました。古い説明書きに小笠原説が書かれているのはそのためです。
ぬか漬け料理が持ち込まれ、北九州は温暖なため、この料理法では魚をぬか漬けにするのは無理がある為、ぬか味噌で炊き込む「ぬか炊き(じんだ煮)」へと変わっていったとも考えられています。地域や取り扱い店舗HPなどではこの諸説が現在伝承されています。 2010年にTV『ケンミンショー』で北九州のぬか炊きが紹介された時は小笠原説で紹介されておりまだ他県では認知されていなかったようです。2022.3.19追加
- NDC
- 参考資料
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- 『日本古典文学大系 30 方丈記・徒然草』 岩波書店 1957年 <918/ニ/30>
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『細川家資料2 大日本近世史料』東京大学史料編纂所/著,細川 忠興/伝 東京大学出版会 1970年
(179頁) - 『日本国語大辞典 第2版 7巻』 小学館 2001年 <813.7/シ/7>
- 『たべもの語源辞典』清水 桂一/編 東京堂出版 1980年<596/シ>(192頁)
- 『古事類苑 〔43〕 飲食部』吉川弘文館 1980年<031/コ/43> (1019~1021頁)
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『北九州市史 民俗編』北九州市史編さん委員会/編集 北九州市,1989年
(226頁) - 『定本 柳田國男集 第二十九巻』柳田 国男/著 筑摩書房 1964年<380.8/ヤ/29> (376頁)
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『おばあさんの漬物,新装版』安部 ヱミ/著 葦書房 1993年
(59~62頁) - 『巌流島から霊巌洞へ』 末吉 駿一/著 北九州市・熊本 福岡地区熊本観光推進協議会 2003年<291.9/ミ>(39頁)
- 『英語で楽しむ福岡の郷土料理』 津田 晶子/著,松隈 紀生/著,トーマス・ケイトン/著 福岡 海鳥社 2009.6〈K383/エ〉(49頁)
- キーワード
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- ぬか炊き
- 糠みそ炊き
- じんだ煮
- おささじ煮
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000077023