レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 岐阜県図書館 (2110001) | 管理番号 (Control number) | 岐県図-1201 | ||||
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事例作成日 (Creation date) | 2010年05月23日 | 登録日時 (Registration date) | 2010年06月18日 10時53分 | 更新日時 (Last update) | 2014年08月28日 11時14分 | ||
質問 (Question) | チャップリンが4度目に来日したとき、変わり果てた鵜飼の姿に落胆したというが、これについて記した新聞記事、回想録、対談などがあるか。 | ||||||
回答 (Answer) | 以下の新聞・雑誌記事が該当。 ・朝日新聞 1961年7月27日朝刊p.10(縮刷版p.588)「チャプリン日本の休日」 ----(以下引用)------ 長良川のホテルで、『戦前のウ飼いはこんなに派手で雑然としていなかった。夜のヤミがもっと美しかった。真っくらな川かみから等しい間隔を置いて、ポツン、ポツンとウ舟のかがり火があらわれてくる。その情景はみごとな芸術家の演出の腕前を思わせた」と夫人に語る、この天才の横顔にはいいようのないさびしさがただよっていたという。 ----(引用おわり)------ なお、岐阜で配達された版では、7月27日夕刊p.5にほぼ同内容の記事が掲載されている。 ・『週刊朝日』1961年8月4日号p.18~20「古き日本をたずぬれど… 天プラ・カブキ・ウ飼い 喜劇王チャプリンの八日間」(記事:工藤宜) ----(以下p.20より引用)------ 「昔のウ飼いは、そのまま一編の詩だったんだよ」 チャプリンは、帰らぬ昔の夢を思い出すかのように、うっとりとした表情で回顧した。 「六そうのウ船が川上のほうから、つぎつぎに下ってきたのだ。明るい幻想的なかがり火で、ひとつ、ふたつ……とウ船を数えられた。ウはアユをとり、われわれはそのアユを屋形船の上でアユずしにしたり、塩焼きにして食べたものだった。詩がそこにあった。 しかし、今のウ飼いはなんだろう。チープ・スタント(安っぽい曲芸)に過ぎない。芸術家だったウ匠は、いまは芸人だ。ウ船がないがしろにされて、見物の船は無政府状態に移動する。川のなかに交通整理の警官が必要なくらいだ。ただ、踊り船は、ベネチアを思わせるようで良かった。昔はなかったものだが……。それに今夜の私は、まるでさらしもの(パブリシティー)だった」 チャプリンは、なんべんもなんべんも昔を語り、夢みる目で手をふった。怒りの感情さえ示した。 ----(引用おわり)------ また、千葉伸夫『チャプリンが日本を走った』(青蛙房,1992 7書庫:778.2/シ)にも上記を含む当時の週刊誌等の記事がまとめられている。 | ||||||
回答プロセス (Answering process) | 来日の年月日を確認し、その時期の新聞を直接さがす。また、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』で週刊誌等の記載を調査。後、自伝や伝記類を参照した。 | ||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | Wikipedia「チャールズ・チャップリン」の項を参照済み。記述の出典になるものを探している。 | ||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) | |||||||
キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||
備考 (Notes) | |||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | |||
登録番号 (Registration number) | 1000068166 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |