レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年11月28日
- 登録日時
- 2010/02/09 10:08
- 更新日時
- 2010/03/10 18:17
- 管理番号
- 298
- 質問
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解決
「能登(ノト)」の語源はアイヌ語の「あご」や「みさき」を意味する「のッ」だそうだが、昔アイヌがいたのか。いたのなら、なぜ消えたのか理由が知りたい。
- 回答
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アイヌがいたかどうか不明。
「ノト」の語源については、『地名語源辞典』(校倉書房 1973 291.03/104)p279に記載があった。
アイヌ→蝦夷→「須曽蝦夷穴古墳」と連想して『加能郷土辞彙』を見ると、
「エゾノイハヤ 蝦夷の岩屋」の項に「大化の頃越後の中部以北に蝦夷が居たといふから、それより古き時代に、
越中若しくは能登・加賀にも、彼等の棲息したことは、推考しても誤がなからう」とあるが、根拠がない。
古墳は能登島にあるので、『能登島町史 通史編』(能登島町 1985 K215/18)を見ると、
近世の編纂物「嶋由来書」冒頭に
「かつて、この島に蝦夷が多く居住しており、そのため蝦夷島(えぞがしま)とよばれた」との記載がある、
とあった。「嶋由来書」は『能登島町史 資料編』で確認した。
『能登島町史 通史編』では、古代の能登が「蝦夷」と深いかかわりがあったことを認めつつ、
「弥生期以降の能登島は、決して「蝦夷」とよばれた人びとの住む土地ではなかった」としている(p97)。
また、「古代の「蝦夷(えみし)」は近世の「蝦夷(えぞ)」に比べて、遥かに広い意味をもつ言葉であった」と述べている(p98)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 『地名語源辞典』(校倉書房、1973、291.03/104)
- 『加能郷土辞彙』(北国新聞社、1979、K030/1)
- 『能登島町史 通史編』(能登島町、1985、K215/18)
- 『能登島町史 資料編』(能登島町、1982、K215/18/S-1)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000063015