レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 東京都江戸東京博物館 図書室 (4110007) | 管理番号 (Control number) | edo2006-08 | |||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2006年08月01日 | 登録日時 (Registration date) | 2006年08月18日 09時56分 | 更新日時 (Last update) | 2018年01月19日 14時04分 | |||||||||
質問 (Question) | 江戸時代、寺子屋の授業料はいくら? | |||||||||||||
回答 (Answer) | 金額に明確な定めはありません。一般的に寺子屋に通う場合は師匠に、入門料である「束脩(そくしゅう)」と授業料である「謝儀」を納めました。江戸と地方では謝礼の傾向が異なりましたが、江戸では銭を納める事が多かったようです。そのほか盆暮などに付け届けが行われていたようですが、もちろんすべての寺子屋に当てはまるわけではありません。 | |||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | まず、入門料の具体的な例を挙げます。 【資料1】『江府風俗志』によると、入門者は「赤飯・煮しめ・酒肴・目録、或いは百疋、身分相応金銀一二両」を用意するという大仰なものでしたが、延享宝暦頃から徐々に簡略化されました。(備考※1) 【資料2】『江戸東京学事始め』によると「入門料は金一分(一両の四分の一)から200~300文とまちまち」と、定めがあるわけではなく、庶民も手軽に寺子屋に入れる様になったと言います。 【資料3】『江戸の寺子屋と子供たち』は【資料1】を引用。 次に授業料の例を挙げます。 【資料4】『史話江戸は過ぎる』によると、江戸末期頃には、毎月「一朱銀を二つ持ってゆき」、また二十五日には天神様の天神講のための銭を用意したそうで、「さしに差した金を一本持ってゆきましたが、一本でいくらあったかは知りません」との証言があります。 【資料5】『時代考証事典』によると、「どの寺子屋もまったく月謝の定めがなかった」盆暮や五節句に「百文から多くて一千文程度」持参しました。月謝に直すと「二十文~二百文」としています。 【資料6】『江戸の備忘録』によると、授業料は年五回払いで、江戸では金一朱(約2万円、1両=30万円換算)ずつ5回納めるのが通例であるとし、農村部では江戸の半額ほどとのことです。 【資料7】『日本庶民教育史』中巻(復刻版)の報告によると、金銭だけでなく、食品や物品などさまざまだったことがわかります。 | |||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||
備考 (Notes) | ※1『江府風俗志』(『近世風俗見聞集』国立国会図書館デジタルコレクション) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949627/7 (2016/8/3確認) ほぼ日刊イトイ新聞(「寺子屋の学費っていくらだったの?」当館学芸員・研究員が答えています。) http://www.1101.com/edo/2006-03-17.html (2014/4/2確認) | |||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 質問者区分 (Category of questioner) | |||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000030144 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |