調べ方マニュアル詳細
- 調べ方作成日
- 2011/01/22
- 登録日時
- 2012/01/21 12:00
- 更新日時
- 2016/04/17 12:04
- 管理番号
- 藩士-0001
- 調査テーマ
-
完成
尼崎藩士・家臣団構成の調べ方
- 調べ方
-
尼崎藩士の子孫の方がご自身の先祖について調べるケース、あるいは尼崎藩政史を研究しておられる方が藩士や家臣団構成について調べるケースなど、尼崎市立地域研究史料館が行なうレファレンスのなかで「尼崎藩士・家臣団構成の調べ方」というのは、比較的よくあるレファレンス事例のひとつです。
そこで、標準的な調査手順・参考史料・文献等について、以下にまとめました。
なお、当館ではこれまでにも標記の調査テーマの調べ方を紀要『地域史研究』誌上に紹介しています。あわせてご参照ください。
■「〈シリーズ地域の歴史を調べる(3)〉尼崎藩を調べる(上)」(尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第23巻第1号〔通巻67号〕、平成5年9月)
■「〈シリーズ地域の歴史を調べる(4)〉尼崎藩を調べる(下)」(尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第23巻第2号〔通巻68号〕、平成5年年12月)
◇◇尼崎藩主と家臣団◇◇
尼崎藩主は、建部政長・戸田氏鉄・青山氏・桜井松平氏と交替しました。藩士は大名家に仕える武士ですので、大名が交替すると藩士たち家臣もかわります。したがって年代によって調査対象となる史料が異なります。
以下、戸田氏鉄・青山氏・桜井松平氏の家臣団の調べ方について順に述べます。建部氏家臣団については、尼崎藩主当時の家臣団史料が得られないため、ここでは対象外とします。
目次
1 戸田氏鉄の家臣団について
2 青山氏の家臣団について
3 桜井松平氏の家臣団について
4 絵図史料を調査する
【参考】尼崎藩及び尼崎藩主の変遷について
※尼崎藩 (Web版尼崎地域史事典『apedia』)
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E5%B0%BC%E5%B4%8E%E8%97%A9&go=%E8%A1%A8%E7%A4%BA
※尼崎藩主(Web版尼崎地域史事典『apedia』)
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E5%B0%BC%E5%B4%8E%E8%97%A9%E4%B8%BB
※尼崎藩家臣団データベース"分限(ぶげん)" 2015年1月追記
2013年8月1日、Web上に新たに尼崎藩家臣団データベース"分限"を公開しました。戸田氏時代、青山氏時代及び松平氏時代の侍帳・分限帳など計13件の史料に掲載された、尼崎藩の藩士・家臣団約4千人を収録しており、氏名・家禄・役職などから検索することができます。
データベース利用に際しては、利用登録の申し込みが必要です。申し込み方法は以下のサイトをご覧ください。
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/bugen/
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
1 戸田氏鉄の家臣団について
戸田氏鉄は元和3年(1617)から寛永12年(1635)まで尼崎藩主でした。尼崎藩主時代の戸田氏鉄家臣団編成については、『尼崎市史』第2巻291~298ページにまとめてあります。また、下記の史料があります。
■大垣市立図書館所蔵「戸田氏鉄侍帳」 (尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』40・41合併号、1984)
→寛永12年段階の藩士の姓名・知行高・役職(※ただし役職記載は一部のみ)がわかります。
比較対照のため、寛永19年段階の家臣団についても、家臣の姓名・知行高・役職を掲載しています。
『尼崎市史』第2巻298ページの表は、「寛永14年大垣藩侍帳」(岐阜市中野効四郎氏所蔵文書)の内容を集計したものです。
他に参考文献として、鈴木喬著『大垣藩戸田家の見聞書』(岩田書院、2006)があげられます。このうち、「膳所衆・尼ヶ崎衆・大垣衆」(9~12ページ/解説含む、以下同)、「従摂州大垣え御供之衆之事」(15~18ページ)等によって断片的ではありますが、戸田氏鉄が尼崎藩主であった時期の、家臣の姓名等について情報を得ることができます。
上記「戸田氏鉄侍帳」は前掲の尼崎藩家臣団データベース"分限"に収録されており、同データベースにより検索することができます。
2 青山氏の家臣団について
尼崎藩は青山幸成が寛永12年(1635)に入封した後、青山氏の支配となりました。以後、幸利・幸督・幸秀と尼崎藩主は引き継がれましたが、宝永8年(1711)に転封となりました。尼崎藩主時代の青山氏家臣団編成については、『尼崎市史』第2巻298~308ページにまとめてあります。また、下記の史料があります。
(1)当館架蔵・加藤省吾氏文書「尼崎藩青山氏給帳集」(『尼崎市史』第5巻、232~239ページ)
(2)坂東均氏所蔵文書「御家中面々家禄」(『郡上八幡町史』史料編二、305~1031ページ)
(3)坂東均氏所蔵文書「青山家家臣非常録・断絶録」(『郡上八幡町史』史料編三、670~892ページ)
→(1)は、寛永12年当時の知行取の姓名と知行高を列挙したものです。
→(2)は、青山氏家臣団のうち、「子供並」という階級以上の藩士について、それぞれの家の系譜を記したものです。家老クラスの大身の家臣からはじまり、末は「足軽・中小姓・小役人」まで計506家の系譜について記載があります。記載の下限は明治2年(1869)です。
→(3)は、青山氏家臣団のうち、継嗣に恵まれず家が絶えたり、あるいは犯罪によって処罰されたり、暇を与えられたりした家臣名及び事由を年代順に記載してあります。
上記(1)(2)(3)はいずれも前掲の尼崎藩家臣団データベース"分限"に収録されており、同データベースにより検索することができます。
他に、加藤省吾氏文書(当館架蔵)に活字化されていない「青山御家中分限帳」(目録番号25)がありますが、内容は(1)と同じものです。同文書群には、「青山幸成讃州高松江御行列書」という文書(寛永17年/目録番号19)もあります。これには、200石以上1500石までの藩士の姓名、石高が記載されています。
3 桜井松平氏の家臣団について
青山氏に代わり、尼崎藩に入ったのが桜井松平家です。宝永8年の松平忠喬以後、忠名・忠告・忠宝・忠誨・忠栄・忠興と幕末まで尼崎藩を支配しました。尼崎藩主時代の桜井松平氏家臣団編成については、『尼崎市史』第2巻308~314ページにまとめてあります。また、以下の史料があります。
(1)当館架蔵・寺田繁一氏文書「尼崎藩松平氏分限帳」(文政13〔1830〕、『尼崎市史』第5巻、239~246ページ)
(2)当館所蔵・内田頼重氏文書「尼崎藩松平氏家中分限帳大概」(文化5〔1808〕、『尼崎市史』第5巻、246~294ページ)
(3)尼崎市立図書館蔵(現尼崎市教育委員会所蔵)「尼崎藩松平氏給人高・渡米調べ帳」
(天保4〔1833〕、『尼崎市史』第5巻、294~297ページ)
(4)尼崎市立図書館蔵(現尼崎市教育委員会所蔵)「尼崎藩家中家禄連名録」(抄出)
(明治7〔1874〕、『尼崎市史』第7巻、38~43ページ)
(5)国立公文書館所蔵(兵庫県史料)「尼崎県華士族元禄・改正禄人名表」
(明治6〔1873〕、『尼崎市史』第7巻、65~82ページ)
(6)当館所蔵「旧城郭内居住尼崎藩士族家禄奉還の調査」
(明治8〔1875〕、『尼崎市史』第7巻、84~85、87ページ)
(7)当館所蔵・内田繁氏文書「江戸屋敷分限帳抜書」
(義根益美氏翻刻/弘化~万延年間〔1844~1861以降〕、『地域史研究』74・75号、1996)
→(1)は、役職別に姓名が記載されています。一部家臣には、知行高・扶持米の表記があります。
→(2)は、前半は、162名の知行取りの姓名・家禄・系譜が列挙されています。後半は、松平忠重・忠倶(深正院)の代に召抱え・取立てのあった190名の給人の姓名・家禄が(深正院の代については召抱えの簡単な経緯も)記されています。なお、忠重・忠倶はいずれも尼崎藩入封以前の松平氏当主で、遠江国掛川藩を支配していました。
→(3)は、禄高50石から800石の家臣たちの手元に渡る米高を知ることができます。
→(4)は、明治7年(1874)段階の、尼崎に居住する藩士731名について姓名・年齢・居住地・祖父・父等家族名・家督相続の時期・役職等、詳細な情報を得ることができます。また、『尼崎市史』第7巻で省略された部分も含めて、当館にて複写史料が閲覧できます。史料内容については、データベース化しておりますので、検索も可能です(ただし館内閲覧に限る)。
→(5)は、旧尼崎藩士族781人それぞれの禄高編成の様子がわかります。『尼崎市史』第7巻では、一部を除き、表で一覧化しています。史料中に記されている禄高は、「元高」が旧藩政期の知行高・切米高、「現石」が幕末期ないし版籍奉還前における給米高、「改正高」が廃藩前に実施された禄制改革後の禄高と考えられます(参照:『尼崎市史』第3巻、59~71ページ)。
→(6)は、旧尼崎藩士族90家について、明治8年段階の家族構成等について詳細がわかる史料です。『尼崎市史』第7巻では、一部を除いて、家禄奉還の年月日、奉還高、奉還後の家禄・氏名を表で一覧化しています。
→(7)は、幕末期、尼崎藩江戸藩邸に勤めた者を対象としています。家老から下女までの家臣等が役職・身分別に記載されており、彼らの知行高、家督相続・昇進・人事異動等の経歴が記されています。
上記のうち(1)(2)(3)(4)(7)は、いずれも前掲の尼崎藩家臣団データベース"分限"に収録されており、同データベースにより検索することができます。また同データベースには「尼崎城下武家屋敷一覧之図」(『尼崎市史』第五巻掲載図に記載されている藩士の姓名を採録したもの)、郡代・中灘代官一覧(岸添和義氏「尼崎藩の大庄屋制度について」『地域史研究』第25巻第2号(通巻101号)より)も収録されています。
その他、維新後の藩士について『尼崎市史』第7巻に一部記載があります。(53~65、88~98ページ)
原文書を含め、さらに詳しく調べるには・・・
■当館架蔵文書
「尼崎藩勤中御役掛り覚え」(明治2〔1869〕、平瀬真砂氏文書/目録番号188) 等
■その他
尼崎市教育委員会所蔵「文化11年尼崎御家中石高」(市立図書館文書・目録№2-45)・「明治2年12月役付姓名控帳」(同2-48)・「役付姓名控帳」(同2-49)・「藩知事時代尼崎藩職員録」(同2-51)
西宮市役所所蔵史料・尼崎藩関係文書1-5「藩士旧禄役員抜書」
以上は、当館にて原文書ないし複写史料での閲覧が可能です。
「■その他」に記載した尼崎市教育委員会所蔵の4点は、『尼崎市史』編纂当時「尼崎市立図書館文書」の2「尼崎藩」として撮影したマイクロフィルム(リール№567~570)を、当館所蔵「尼崎市史編集資料目録集」第1巻掲載の細目録と対照しながらご覧いただいております。なお、「市史編集資料目録集」に収録された文書群の一覧は『尼崎市史』第13巻(253~255ページ)に掲載しています。
西宮市役所所蔵史料1点は複写史料(当館文書群№100443)でご覧いただきます。
4 絵図史料を調査する
城下町及び城を描いた絵図史料で、家臣団の屋敷地の配置等がわかります。
絵図史料については、当館にて原文書ないし複写史料での閲覧が可能です。
(1)戸田氏鉄支配時代
■大垣市立図書館所蔵「寛永12年戸田氏尼崎城下絵図」(『尼崎市史』第13巻口絵に一部掲載)
(2)青山氏支配時代
■当館架蔵「青山播磨守家中尼崎城下屋敷小絵図」
(橋本治左衛門氏文書(3)/目録番号11・12)
(3)桜井松平氏支配時代
■青木兼夫氏所蔵「松平氏時代尼崎城下絵図」
■尼崎市教育委員会所蔵文書「松平氏時代尼崎城下絵図」(解読図・別表家臣名『尼崎市史』第5巻、尼崎藩家臣団データベース"分限"に記載あり)
■尼崎市教育委員会所蔵文書「松平氏時代飯山城下絵図」
■当館架蔵「松平遠江守尼崎城下家中屋敷小絵図」(橋本治左衛門氏文書(3)/目録番号13~15)
■当館所蔵「明治10年尼崎町地籍編成総絵図」
- NDC
- 参考資料
-
- 『尼崎市史』第2巻 昭和43年発行 (当館請求記号 219/A/ア‐2)
- 『尼崎市史』第3巻 昭和45年発行 (当館請求記号 219/A/ア‐3)
- 『尼崎市史』第5巻 史料編(近世・上) 昭和49年発行 (当館請求記号 219/A/ア‐5)
- 『尼崎市史』第7巻 史料編(近代・上) 昭和51年発行 (当館請求記号 219/A/ア‐7)
- 『尼崎市史』第13巻 別編(年表・索引・総目次等) 昭和63年発行 (当館請求記号 219/A/ア‐13)
- 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第23巻第1号(通巻67号、平成5年9月)
- 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第23巻第2号(通巻68号、平成5年12月)
- 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第14巻第1・2号合併号(通巻40・41号、昭和59年11月)
- 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第25巻第2号(通巻74号、平成8年2月)
- 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第25巻第3号(通巻75号、平成8年3月)
- 『郡上八幡町史』史料編二 諸記録 昭和61年発行 (当館請求記号 219/5.3/ク-4)
- 『郡上八幡町史』史料編三 幕府領・旗本領地方史料 昭和62年発行 (当館請求記号 219/5.3/ク-5)
- 鈴木喬『大垣藩戸田家の見聞書 二百年間集積史料「御耳袋」』 岩田書院、2006年発行 (当館請求記号 219/A/ス)
- キーワード
-
- 尼崎藩
- 戸田氏鉄
- 青山氏
- 桜井松平氏
- 家臣
- 藩士
- ルーツ
- 士族
- 備考
-
Web版 尼崎地域史事典"apedia"
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/
Web版 図説尼崎の歴史
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/
尼崎藩家臣団データベース"分限(ぶげん)"
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/bugen/
- 登録番号
- 2000019423