特別コレクション詳細
- 登録日時
- 2018/03/30 11:25
- 更新日時
- 2021/01/18 10:07
- 管理番号
- edoc2016企展06
- コレクション名
- 戦時下東京のこどもたち
- コレクション名ヨミ
- センジカ トウキョウ ノ コドモ タチ
- 内容
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会期:2017年3月7日(火)~5月7日(日)
1941年(昭和16)12月、日本は英米との間で戦争状態に突入しました。翌年4月18日の米軍による初空襲により、東京も荒川区、牛込区等において中学生ほか39名が犠牲となりました。その後、戦争が長引くにつれて日本は劣勢となり、本格的に空襲の危機が迫るなか、東京のこどもたちは、どのような日々をすごしていたのでしょうか。
1944年(昭和19)7月のサイパン陥落後、8月から9月にかけて都内の国民学校3年生から6年生23万人の学童が三多摩のほか14県へ「集団疎開」しました。翌年3月の大空襲後は疎開地移転の「再疎開」、低学年対象の「二次疎開」も行われました。一方、中学校や高等女学校の生徒は、学校工場で、あるいは近隣、遠隔地に動員されて、飛行機の部品製造や風船爆弾の気球製造など軍需産業の勤労奉仕に明け暮れました。
東京は1944年(昭和19)11月から翌45年8月まで、多摩、島嶼部合わせて122回にわたる空襲を受け、市民の生活圏が戦場となりました。そして1945年(昭和20)3月10日未明、東京の下町は米軍による325機のB29による大空襲により、2時間余で約1700トンの焼夷弾が下町地域に投下されて火の海となり、推定10万人以上の市民が犠牲となりました。
戦後70年あまりの時を経た現在、このような体験が語り継がれる機会も少なくなってきています。そこで、今回の展示では、これまで資料の収集・展示活動を通じて館に寄せられた、当時のこどもたちの言葉や体験から戦時下東京のくらしを振り返ります。
本展でとりあげる1929年(昭和4)から34(昭和9)年に生まれた10人のこどもたちは、12歳から7歳で開戦を迎え、それぞれの体験を通じて成長していきました。彼らの体験談やゆかりの品々の展示を通じ、平和の尊さを考える場とします。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/project/10777/%e4%bc%81%e7%94%bb%e5%b1%95%e3%80%8c%e6%88%a6%e6%99%82%e4%b8%8b%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%81%ae%e3%81%93%e3%81%a9%e3%82%82%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%80%8d/
(最終アクセス日:2020年3月13日)
- 来歴
- 利用条件
- 目録等
- 紹介文献
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「企画展 戦時下東京のこどもたち」松井かおる (『江戸東京博物館ニュース』 vol.97 東京都歴史文化財団,東京都江戸東京博物館/編 東京都歴史文化財団,東京都江戸東京博物館 平成29年3月24日 M3624/TO-003/ 077-097)
- 所蔵点数
- 継続
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 幼児.初等.中等教育 (376 10版)
- 関東地方 (213 10版)
- キーワード
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- アジア太平洋戦争
- 空襲
- 学徒動員
- 戦災
- 学童疎開
- 備考
- コレクションID
- 3000002721