レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2025/03/13 16:01
- 更新日時
- 2026/03/03 15:47
- 管理番号
- 250
- 質問
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太平洋戦争中、安芸津に学童疎開(集団疎開)の受け入れがあったかどうか知りたい
- 回答
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安芸津町は集団疎開を受けていない。
「広島県の定めた「広島県学童疎開要綱」及び「広島県学童集団疎開実施要領」により学童疎開が実施され、1945年(昭和20年)4月から集団疎開が始まりました。広島市内の国民学校3年生から6年生までの児童は、広島県内の双三、山県、安佐、高田、佐伯、比婆、世羅の7つの郡に疎開しました。子どもたちは、寺や旅館などで、家族と離れ離れの集団生活を強いられました。」~広島平和記念資料館ホームページより~とある。
『広島原爆戦災誌』記載の広島市内の国民学校の集団疎開地区も同様であった。『広島県史』記載の呉市学童の疎開先にも安芸津は含まれていなかった。当時安芸津は三井造船株式会社の分工場である安芸津造船所の従業員を受け入れのために、住宅や食料の手配で大変だったとのこと。『安芸津町史 資料編』の安芸津町総合配給組合規約にもその旨の記述あり。集団疎開を受け入れる余裕
はなかったのではないかとおもわれる。
- 回答プロセス
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郷土史研究家、3名にインタビュー。共に安芸津での集団受け入れはなかったと回答。1名は当時呉市在住で、姉(当時小4)が縁故で安芸津に疎開したとのこと。もう1名は慶寿院の住職。集団疎開はなかったが、昭和19年~20年頃「神農池」を作るのに協力するため、西条農業の生徒(今の中学生)が1,2ヶ月慶寿院に滞在したことがあるそうだ。もう1名は本家で縁故疎開者3名を受け入れたとのこと。
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372)
- 参考資料
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- 矢原大和/編. ぼくたちの大好きな戦争. 1994.3.
- 安芸津町史 資料編. 2011.3.
- 広島県史 近代現代資料編3. 1976.3.
- 広島原爆戦災誌 第4巻. 1971. , ISBN 978-4-593-58721-6
- 学童集団疎開誌. 1973.12. , ISBN 4-06-212405-X
- キーワード
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- 安芸津町
- 集団疎開
- 照会先
- 寄与者
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000364240