レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20240317
- 登録日時
- 2024/07/11 00:30
- 更新日時
- 2026/07/09 11:16
- 管理番号
- 0401006403
- 質問
-
未解決
相撲の歴史について
『万葉集』の「巻第五 八八二~八八五」に肥後国益城郡(ひごのくにましきのこほり)の大伴君熊凝(おおとものきみくまごり)という人物が、天平三年に宮中行事として行われていた相撲の使の従人として京都(みやこ)に向かう途中、病で亡くなったことを詠んだ歌が載っていた。
それに関連した以下のことが知りたい。
(1)大伴君熊凝は相撲節会(すまいのせちえ)へ参加する道中だったのではないかと思うが、相撲節会とはどういったものなのか分かる資料が読みたい。
(2)実際に天平三年に相撲が行われていたと分かる資料はあるか。
(3)大伴君熊凝らは何人で京都へ行ったのか。
- 回答
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(1)資料⑯『日本国語大辞典 第7巻』p.1045「すまいの節(せち)」の項で言葉の意味を確認する。
[=節会(せちえ)]天皇が宮中で相撲を観覧され、参列の諸臣と饗宴を催される儀式。延暦以降一二世紀までは七月に行われた。相撲使(すまいのつかい)を地方につかわして相撲人(すまいびと)を召し出させる。(中略)すもうのせち。すまいの会(え)。すまい。
との記載あり。
また、関連する資料として資料①~⑦を紹介した。
(2)資料①『相撲節会』のp.91-92に
天平十三年※(七三一)のこと、相撲節に参加すべく都にむかっていた相撲使の従者が旅路で病死。それを悼んで詠んだ麻田陽春(やす)の哀歌に和して山上憶良が詠んだ歌六首が『万葉集』巻五に載る。歌に詞書がつき(中略)詞書からいくつかのことがしれる。相撲説については、史書の上では、『続日本紀』天平六年七月七日条の、聖武天皇が「相撲の戯を見給ふ」という記事が早いが、それより早い天平三年にすでに相撲説がおこなわれていたことになる。この時が最初の相撲節であったとは記されていないから、それよりさらに古くから相撲説がおこなわれていた可能性もある。
との記載あり。
※原文のまま。七三一年は天平三年である。
資料⑥『相撲の民俗史』のp.45に神亀五年(七二八)に諸国の郡司等に対して、騎射に優れた者や相撲人(すまいびと)、膂力者の貢進を強要する厳しい勅が出されており(『続日本紀』)、また天平二年(七三〇)には、孟秋節(七月七日節)のために相撲人を引率して都に上がり、大宰府に帰る相撲の部領使(相撲節に出場する相撲人を召し出すため朝廷から諸国に派遣された使者)に手紙を託したことが『万葉集』巻五の中にも見られ、実際にはもっと早くから行われていたのであろう。
との記載あり。
資料②『相撲』のp.21および資料⑦『日本相撲大鑑』のp.33-にも同様の記述あり。また、国立国会図書館デジタルコレクション『日本角力史 増訂5版』(永続的識別子:info:ndljp/pid/860427)31-36コマにも同様の記述あり。
(3)資料①『相撲節会』のp.92に
熊凝は従者で、相撲人ではなく、一行の中に何人の相撲人がいて、どんな素性の者だったのか、残念ながらわからない。(中略)なお、熊凝がお伴した相撲使は「某国司」とされており、どこの国司か不明
との記載あり。
資料⑫~⑭は、大伴君熊凝について詳しく考察されており、利用者が話していた内容とも合致したため紹介した。
なお、一行の人数について触れられているのは資料⑭『佐伯万葉史の研究』のみ。p.34-35に
仮にこの年の三月、相撲使が都から肥後国に来て一人の力士を探したとする。その一人の力士を都へ連れて行くのに、近衛府の相撲使某が一人、その某に国府から四等官の役人(国司)正何位何某が一人、その国司の従人として熊凝が一人いるので、肥後から一人の力士が上京するのに、四人連の一行となるのではないか。(中略)結局大宰府からの一行約四十人の中に熊凝が居て、途中発病して高庭で死んだ(後略)
との記載あり。
資料⑭『佐伯万葉史の研究』には、その後の旅程などについても考察されている。
- 回答プロセス
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(1)資料⑯で「相撲節会」について調査。7巻のp.1045に「すまいの節(せち)」、p.1071に「すもうの節(せち・せつ)」の記載があり。
つぎにキーワード「相撲節会」で自館検索を行うと、資料①がヒット。
また、『相撲節会』の件名「相撲-歴史」で自館検索を行い、ヒットした資料を調査。また、分類788.1の棚をブラウジングし、関連のありそうな資料について調査を行い、該当する資料①~⑦を紹介した。インターネットで「相撲節会」と検索すると日本相撲協会の「七夕と相撲」というページがヒットしたため、参考にお伝え。(https://www.sumo.or.jp/Kokugik...)
(2)資料①~⑩を調査した。
資料①のp.91-92、資料⑥のp.45、資料②のp.21、資料⑦のp.33-に関連する記述あり。
また、国立国会図書館デジタルコレクションでキーワード「相撲節会」と検索してヒットした『日本角力史 増訂5版』(永続的識別子:info:ndljp/pid/860427)にも同様の記述あり。
(3)資料①のp.92に関連する記載あり。
国立国会図書館デジタルコレクションをキーワード「相撲節会 肥後」で検索すると『相撲道と吉田司家』(永続的識別子:info:ndljp/pid/2490166)がヒット。内容を調査したところ、20-21コマに「万葉集に出る大伴君熊凝の歌」について記載があったが、人数等一行についての情報はなし。
キーワード「熊凝」で自館検索をしたところ、資料⑫~⑭がヒット。
以上、インターネット情報の最終検索および最終アクセス日は2026年1月23日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 相撲.拳闘.競馬 (788 10版)
- 参考資料
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- ①相撲節会,飯田 道夫/著,人文書院,2004.1 (0118000140|/788.1/イ/)
- ②相撲,土屋 喜敬/著,法政大学出版局,2017.4 (p.20-26 「相撲節」について記載あり。|0141626887|/788.1/ツ/)
- ③相撲の誕生,長谷川 明/著,青弓社,2002.4 (p.63- 相撲の最古の事例(『皇極紀』六四二年)について記載あり。|0118156728|/788.1/ハ/)
- ④物語日本相撲史,川端 要寿/著,筑摩書房,1993.11 (p.7- 神事相撲について p.10- 節会相撲について記載あり。|0115757981|/788.1/カ/)
- ⑤相撲の歴史,新田 一郎/著,山川出版社,1994.6 (p.71-105 相撲節について記載あり。|0115910655|/788.1/ニ/)
- ⑥相撲の民俗史,山田 知子/著,東京書籍,1996.8 (p.43- 相撲と節会について記載あり。|0116502808|/788.1/ヤ/)
- ⑦日本相撲大鑑,窪寺 紘一/著,新人物往来社,1992.7 (p.33- 神事相撲について p.37- 節会相撲について記載あり。|0115199101|/788.1/ク/)
- ⑧野見宿禰と大和出雲,池田 雅雄/著,彩流社,2006.12 (求められている時代より前の相撲について記載。参考に紹介。|0118382746|/788.1/イ/)
- ⑨相撲大鑑,常陸山 谷右衛門/〔著〕,ベースボール・マガジン社,1985年 (禁帯出資料であるが、内容は他資料で補えると思われる。参考として紹介。|0111501912|/788.1/ヒ/)
- ⑩相撲道と吉田司家,荒木 精之/著,相撲司会,1959. (3階郷土資料として所蔵。国立国会デジタル資料にあったため、そちらを印刷。現物についても当館で閲覧可能な旨お伝え済み。|0110213121|C/788.1/ア/)
- ⑪新日本古典文学大系 1,佐竹 昭広/[ほか]編集委員,岩波書店,1999.5 (『万葉集』の該当部分確認のため。|0117213587|/918/シ/1)
- ⑫肥後万葉論攷,久保 昭雄/著,武蔵野書院,1993.10 (p.20-大伴君熊凝について記載あり。|0115759698|/911.1/ク/)
- ⑬熊本学園創立50周年記念論集 熊本商科大学教養部編,梅村 勲/[ほか]編集,熊本商科大学,1992 (p.(75)-(86) 通し頁数p.533-544|0115227076|C/040/ク/)
- ⑭佐伯万葉史の研究,永尾 幹三郎/著,溪水社,1984年 (p.5-熊凝について記載あり。 p.37-45「相撲使上京の旅」について記載あり。|0112332390|C/911.1/ナ/)
- ⑮熊本県の歴史,森田 誠一/著,山川出版社,1972.12 (p.46-47 熊凝について記載あり(⑭の参考資料)|0114199011|/210/ケ/)
- ⑯日本国語大辞典 第7巻 小学館国語辞典編集部/編集 小学館 2001.7 (p.1071|0117676171|R/813.1/ニ/(7))
- キーワード
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- 相撲
- 大伴君熊凝
- おおとものきみくまごり
- 相撲節会
- すまいのせちえ
- すまひのせちえ
- 節会相撲
- せちえずもう
- 万葉集
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000352887