佐藤礼云の生年は1886年のようである。
没年の記載がある資料は見つからなかったが、経歴については断片的に判明した。
以下のとおり資料を紹介した。
図書
・『成田高等学校史 創立六十周年記念』大野政治 編 成田高等学校 1958年
→p.122 「大正時代の成田中学校」の章で、「佐藤礼云主監時代(自大正五年三月 至大正八年七月)」
p.123 「佐竹氏の後釜に坐つたのが東大哲学科出の佐藤礼云先生だ。 礼云先生は押しも押れない堂々たる風彩の人であった。成田中学から県立浜松中学校長に転出し、後文部省の督学官となり、福岡県師範学校長と、トントン拍子で出世した。」
p.123~124 「佐藤先生は、愛知県士族の出で帝大文学士、名を礼云(ひろひさ)と呼び…(後略)」
との記述あり。
・『日本数学教育史』小倉金之助、黒田孝郎 共著 明治図書 1978年
→p.43 佐藤礼云が、中学校令施行規則の改正(1931年)に先だって1928年に作られた「中等教育調査委員会」の小委員会員だった旨の記述あり。
インターネット
・「全国中学校校長会朝鮮・満州視察旅行全員名簿」(「小松家文書館」のホームページ内)
→「浜松 佐藤禮云 (生没年)1886- (在任)1919―1930(?) (公私立)静岡県立 (現在校)静岡県立浜松北高等学校」
との記述あり。(小松家文書館ホーページ内に、大正10年の全国中学校校長会朝鮮・満州視察旅行について「『京城日報』には朝鮮・満州視察の「中学校長團総員93名」とあり、全員の名前と所属中学校の名前がでている。」と記述があり、この『京城日報』をまとめたものかと思われる。)
・「井上靖と浜松 3」『はままつ文芸館だより いざよい』No.26,2014年 (「はまかるNEO」のホームページ内)
→井上靖が大正10(1921)年に県立浜松中学校に入学したときのことについての文章内に、「校長は、在職一年半35歳の佐藤礼云だった。」との記述あり。
(2026年6月4日 情報提供があったため追記)
資料1~4に生没年、経歴(略歴)等の情報があった。
生年月 :明治17年5月 (資料1~3)
没年月日:1942年(昭和17年)3月21日 (資料4)
資料1
国立国会図書館デジタルコレクション(ログインなしで閲覧可能)
『大衆人事録』第13版 中国・四国・九州篇,帝国秘密探偵社,昭和15.
https://dl.ndl.go.jp/pid/1112914/1/164?keyword=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%A4%BC%E4%BA%91(参照 2026-04-11)
→164コマ目(福岡三七)に生年月および略歴。
資料2
国立国会図書館デジタルコレクション(ログインなしで閲覧可能)
聯合府市政通信社 編『全国学校教育施設総覧』,聯合府市政通信社,昭和8.
https://dl.ndl.go.jp/pid/1465642/1/237?keyword=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%A4%BC%E4%BA%91(参照 2026-04-11)
→237コマ目(pp.419)に生年および略歴。
資料3
聯合府市政通信社 編『帝国遊学大観』,聯合府市政通信社,昭和7.
https://dl.ndl.go.jp/pid/1465898/1/570?keyword=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%A4%BC%E4%BA%91(参照 2026-04-11)
→570コマ目(pp.419)に生年および略歴(内容は資料2と同一)
資料4
国立国会図書館デジタルコレクション(ログインなしで閲覧可能)
大蔵省印刷局 [編]『官報』1942年05月09日,日本マイクロ写真 ,昭和17年.
https://dl.ndl.go.jp/pid/2961098/1/7?page=right&keyword=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%A4%BC%E4%BA%91(参照 2026-04-11)
→7コマ目(pp.300)の「官吏卒去及死去」の項に
「師範學校長從四位勳五等佐藤禮云ハ本年三月二十一日【中略】卒去」の記述。