レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/03/25
- 登録日時
- 2024/05/16 00:30
- 更新日時
- 2024/05/16 00:30
- 管理番号
- R1014370
- 質問
-
解決
『大阪締め』の由来について知りたい。
- 回答
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■は図書、□は雑誌、●は新聞記事を指します。
以下の資料に「大阪締め」の由来に関する記述がありました。
□大塚清明「大阪締めのルーツについて」『大阪の歴史』<51>(大阪市史編纂所/編 大阪市史料調査会 2003)
p64-68「元来、『手打ち』は(中略)喜び楽しんで行うものであったのが、時代の変化に伴って、契約がまとまった喜びを表すため、行われるようになったと考えられます。そして、同様な手打ちが、天満青物市場や雑喉場魚市場でも行われ、これが大阪締めとなって、三大市場を氏地に有する天満宮の天神祭りで行われるようになった」
□松村英二「春の大阪風物詩二題 知ってはりまっか大阪78」「PRI・O」64(2)<713>(2018.2)
p28に「『大阪締め』は、生国魂神社に伝わる櫓太鼓の打ち方と掛け声が起源とされています。その後、天満の青物市場で、商い成立の祝福の手拍子として行われるようになったのが『大阪締め』手打ちの始まりと言われ、以降は船場の商取引に、また市中の祭礼にも盛んに使われるようになっています。」
●向井大輔「大阪締め しめっぽいの打ち消せ」『朝日新聞』2013年1月23日 夕刊 3面「江戸時代、天下の台所だった堂島米市場などで取引が成立した際、神前で誓約する「手打ち」という習慣があり、それが大阪締めとして今に伝わっている」
(朝日新聞クロスサーチにて検索。最終確認日:2024/3/1)
以下の資料には、大阪商人が契約取決めの際に手打ちを行っていたとされる記述がありますが、それが「大阪締め」であるかは不明です。
■『日本永代蔵:全訳注』(井原西鶴/著 矢野公和/訳注 講談社 2018.9)
p46-47「そもそも大坂北浜の米市場は、ここが日本第一の港だからこそ、二時間程度の間に五万貫目(約六百六十五億円)もの立合い商いが成立する。(中略)互いに顔を見知った人には、千石万石の米を売買しても、文書を交わすことなどなく、いったん双方が手打ちをすれば、少しもその約束を違えることがない」
■『大阪商業史資料 第29巻』(大阪商工会議所/編集 大阪商工会議所 1964)
「茶問屋」に、「取引には最初仲買荷主互に價格を定め柏手に上之を問屋へ持来り」とあります。(p29-191)
この他、祭事、市場、大阪の風俗に関する資料を確認しましたが、「大阪締め」「手締め」「手打ち」等の記述はありません。以下確認資料を参考までにご紹介します。
■『近世風俗志5:守貞謾稿』(喜田川守貞/著 宇佐美英機/校訂 岩波書店 2002.12)
■『近世風俗志4:守貞謾稿』(喜田川守貞/著 宇佐美英機/校訂 岩波書店 2001.10)
■『天満市場誌:上巻』(永市寿一/著 天満青物市場 1929)
■『堂島米市場史』(須々木庄平/著 日本評論社 1940)
■『株式会社大阪堂島米穀取引所沿革』(大阪堂島米穀取引所/編輯 大阪堂島米穀取引所 1912)
■『北浜盛衰記』(松永定一/著 東洋経済新報社 1959)
■「街之噂」影印『浪華叢書 14巻』(船越政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会 1927)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
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- B14680535 大阪の歴史 1997/06-1998/09 49-51,増刊号 50号:1-50号総目次・執筆者等一覧 大阪市史編纂所 大阪市史料調査会 1997.06.01 216.3
- B15001902 PRI・O 2018/02 64(2)<713>(2018.2) 2018.02.01
- B13605016 日本永代蔵 井原/西鶴‖[作] 講談社 2018.9 913.52 978-4-06-292475-7
- B10614526 大阪商業史資料 第29巻 大阪商工会議所∥編集 大阪商工会議所 1964 672.163
- キーワード
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- 大阪締め
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000350207