レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20121013
- 登録日時
- 2018/12/20 00:30
- 更新日時
- 2024/12/09 16:16
- 管理番号
- 1001786
- 質問
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解決
「富士山」を詠んだ程順則の漢詩を見たい。
- 回答
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【回答資料】
①『琉球千草之巻』 (慶留間 知徳著、慶留間勇、1962.8)
p26-30 「偉人之部 名護程順則の事」中のp27に、程順則が江戸上り入府の時富士山に題してとして、次の詩がある。
富士山
允是群山祖
扶桑第一尊
満頭生白髪
鎮国護児孫
②『沖縄タイムス』1977年2月4日6面 真栄田義見「ある誤謬 名護親方と富士山の詩」
「私は二三の家庭を訪ねた時に、富士山を詠じた程順則の扁額を見たことがある」とあり、下記漢詩の掲載がある。
ただし、この資料では、「大島筆記」の記述から程順則ではなく、その孫の作品とする。
真是群山祖 真に是れ群山の祖
扶桑第一尊 扶桑第一の尊
満頭生白髪 満頭白髪を生じて
鎮国守児孫 国を鎮め児孫を守る
③『沖縄タイムス』1977年3月15日5面 佐渡山安治「富士山の漢詩について」
②への反論として書かれたもの。「紛れもなく程順則の作 : 「蓋(ママ)簪録」が裏づける好資料」と見出しし、「大島筆記」をはじめ、神沢良翰「翁草」、大田南畝「一話一言」、岡田新川「秉穂録」にこの漢詩が掲載されていると紹介し、そのうち岡田の「秉穂録」に伊藤東涯の「盍簪録」が引用されており、その中に同漢詩が程順則の作として紹介されていることに注目する。伊藤が程順則と同時代の人物であり、「大島筆記」で述べられた詩の制作年には既に没していたことからも、同詩が程順則の作であると考察する。
【参考資料】
下記資料に掲載は確認できなかった。
①『名護親方程順則評伝』 (真栄田 義見著、沖縄印刷団地出版部、1982.11)
②『名護親方程順則資料集 1』 (名護市教育委員会文化課市史編さん係編、名護市教育委員会、2005.3)
③『高校生のための郷土の文学』 (沖縄県教育委員会高等学校教育課編、沖縄県教育委員会、1996.3)
④『琉球漢詩選』 (島尻 勝太郎選、上里 賢一注釈、ひるぎ社、1990.1)
⑤『中山詩文集』 (上里 賢一編、九州大学出版会、1998.4)
⑥『雪堂燕遊草』 (程 順則(寵文)著、奎文館、1714(正徳4))
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 文学 (9)
- 参考資料
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- 琉球千草之巻 慶留間 知徳/著 慶留間勇 1962.8 (p27)
- 沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1977年2月 [沖縄県立図書館] [2011.3] (1977.2.4日刊6面)
- 沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1977年3月 [沖縄県立図書館] [2011.3] (1977.3.15日刊5面)
- キーワード
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- 富士山
- 程順則
- 漢詩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000248810