レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/3/29
- 登録日時
- 2013/06/05 00:30
- 更新日時
- 2025/11/05 10:17
- 管理番号
- 鹿県図-120010
- 質問
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解決
大正3年の桜島の大噴火によって大隅半島と陸続きになったが,その場所にあった海峡は何という名前だったのか。また,何㎞くらいあったのか。
- 回答
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『みんなの桜島』(南方新社)のP29に「1914年の大正噴火までは文字通り錦江湾に浮かぶひとつの島だった。桜島と大隅半島の間には,幅300~400メートル,深さ70~80メートルの瀬戸海峡があったが,大正噴火で流れ出した溶岩で埋めつくされた。」との記載あり。
『桜島町郷土誌』(桜島町)の“大正三年の大噴火”の章(P515)に「大正三年一月十二日の噴火は・・・(中略)・・・瀬戸海峡を閉塞して大隅半島と連なったこと。」との記載あり。
『桜島大正噴火誌』(鹿児島県)の“大正三年噴火前の櫻島概要”の章(P28)に「瀬戸海峡僅かに三町十八間を隔てて肝属郡に隣りし・・・(後略)」との記載あり。
上記の3冊から,1町=109.09m 1間=1.8182m で計算すると 359.9976m となり 約360mであると判明
よって,「瀬戸海峡」という名前の海峡で「約360m」であったことを回答
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 みんなの桜島 桜島ミュージアム 編著 南方新社 2011.4 K291.32/サ011 (p.29)
- 2 桜島町郷土誌 桜島町郷土誌編さん委員会/編さん 桜島町 1988. K29132/サ88 (p.515)
- 3 桜島大正噴火誌 鹿児島県/[編] 鹿児島県 1927 K45/カ27 (p.28)
- キーワード
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- 桜島
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000131986