レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月08日
- 登録日時
- 2024/11/23 16:59
- 更新日時
- 2025/05/05 15:12
- 管理番号
- 2024-0031
- 質問
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解決
斎藤茂吉の歌碑が鹿島や嬉野にあるが、なぜ歌碑が建てられたのか知りたい。
また、どのような足取りで鹿島、嬉野に来ることになったのか知りたい。
- 回答
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以下の資料に記載があった。
①『肥前鹿島の石造文化』 鹿島市
p247 「祐徳稲荷にも われらまうでたり 遠く旅来しことを語りて 斎藤茂吉」
昭和三十二年四月二十九日の除幕。建設発起人は、碇登志雄・橋本野粋・鍋島直紹・鍋島直玄・中島哀浪・納富進・栗原荒野・
諸富芳夫・望月雪子・鈴田昭次
との記載あり。
②『佐賀の文学』 新郷土刊行協会
p412 祐徳稲荷神社の歌碑建立の記載あり。
p441 大正6年~10年まで長崎に滞在。大正9年に悪性の流行感冒に侵され、肺炎を併発、雲仙、唐津、古湯、嬉野と転地、保養に
つとめると記載あり。
③『茂吉と九州』 葦書房 斎藤茂吉の九州旅行についての内容で足取りがよくわかる。
p168~181 嬉野・鹿島でのようすの記載あり。
④『斎藤茂吉選集 第1巻』 岩波書店
『あらたま編輯手記』に、長崎県小浜から嬉野へいったこと、祐徳稲荷神社に参拝したことが数行だけ記載されているが、
同伴者の有無、参拝の理由までは記載がなかった。
- 回答プロセス
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質問者によると、歌碑は嬉野市の轟公園などにあるとのこと。
まず①②を確認した。
②に、『作歌四十年』という資料が出てくるので、国立国会図書館デジタル化資料送受信サービスで確認したが、嬉野、祐徳稲荷神社については、ほかの資料と変わらず、2行程度の記載だった。
その後、キーワード『斎藤茂吉』で所蔵検索し、ヒットしたものから記載のありそうなものを確認し、③④も提供した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (910)
- 参考資料
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鹿島市史執筆委員会 編. 肥前鹿島の石造文化. 鹿島市, 1978. (鹿島市史資料編 ; 第1集)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001377937 (自館請求記号:N214/カ/カシマ 110431269) -
佐賀の文学編集委員会 編. 佐賀の文学. 新郷土刊行協会, 1987.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001905237 (自館請求記号:N910/サ/カシマ 110027125) -
合力栄 著. 茂吉と九州. 葦書房, 2003.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004278211 , ISBN 4-7512-0860-8 (自館請求記号:N911/ゴ 110822848) -
斎藤茂吉 著. 斎藤茂吉選集 第1巻. 岩波書店, 1981.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I09111100585060
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鹿島市史執筆委員会 編. 肥前鹿島の石造文化. 鹿島市, 1978. (鹿島市史資料編 ; 第1集)
- キーワード
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- 斎藤茂吉
- 歌碑
- 鹿島
- 嬉野
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000359722