本文へスキップします。
レファレンス協同データベース
    • 検索条件が入力されていません。
    • 検索キーワードは7単語以内で入力してください。
  • ヘルプ
  • ログイン
  • 検索条件が入力されていません。
  • 検索キーワードは7単語以内で入力してください。
  • 事業について

    • レファ協とは?
    • おすすめ!レファ協データ
    • 事業概要
    • 事業報告・統計
    • 事業フォーラム
    • 企画協力員について
    • サポーターについて
  • 関係者の方へ

    • 事業への参加
    • データの作成・公開
    • システムの使い方
    • レファ協活用術
    • 事業担当者研修会
    • 御礼状・企画協力員賞
  • 参考情報

    • コラム集
    • レファレンス関連情報
    • 刊行物・グッズ
  • レファ協トップページ
  • What's CRD(English)
  • 参加館一覧
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • @crd_tweet
現在位置
  • トップページ
  • 詳細検索
  • 検索結果一覧
  • レファレンス事例詳細
レファレンス協同データベース

レファレンス事例詳細

  • 前のデータへ
  • 次のデータへ
事例作成日
登録日時
2010/12/18 02:00
更新日時
2010/12/20 09:49
提供館
外務省外交史料館 (5000003)
管理番号
2010-118
質問
1935年(昭和10年)に日本の経済使節団がブラジルを訪問し、翌年にはブラジルの経済使節団が来日したそうですが、それらの記録はありますか。
回答
 外務省記録「本邦人ノ海外視察旅行関係雑件(中国及満州国ヲ除ク) 視察団ノ部 訪伯経済使節団関係」および「外国人渡来関係雑件 視察団ノ部 伯国経済使節団関係」(伯国=ブラジル)があります。また、『日本外交文書』(昭和期II第二部第四巻・第五巻)にも関係文書が採録されています。
 1935年ブラジルに派遣された日本の経済使節団は、川崎造船社長の平生釟三郎(ひらお・はちさぶろう)を団長とし、両国の親善や経済関係の促進を目的とするものでした。使節団はブラジル各所を視察して現地での交流に努めるとともに、両国貿易均衡のためのブラジルからの綿輸入措置などについて同国外務省と協議し、通商に関する各種勧告、決議、宣言を採択して帰国しました。平生はこの経験に基づき、帰国後の1935年12月5日、昭和天皇に日伯貿易に関する御進講を行っています。また翌1936年(昭和11年)には、訪伯使節団への答礼としてブラジルからも使節団が来日し、巡遊した日本各地で歓迎を受けました。
回答プロセス
事前調査事項
NDC
参考資料
キーワード
  • 昭和戦前期
  • 1930年代(昭和5年~14年頃)
照会先
寄与者
備考
調査種別
内容種別
質問者区分
登録番号
1000075522
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000075522 コピーしました。
アクセス数 1286
拍手! 0
  • Xでポストする
  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る
  • はてなブックマークに登録する
  • メールで送る
  • 前のデータへ
  • 次のデータへ
◀検索結果一覧へ戻る
  • レファ協トップページ
  • What's CRD(English)
  • 参加館一覧
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • @crd_tweet
  • 事業について
  • レファ協とは?
  • おすすめ!レファ協データ
  • 事業概要
  • 事業報告・統計
  • 事業フォーラム
  • 企画協力員について
  • サポーターについて
  • 関係者の方へ
  • 事業への参加
  • データの作成・公開
  • システムの使い方
  • レファ協活用術
  • 事業担当者研修会
  • 御礼状・企画協力員賞
  • 参考情報
  • コラム集
  • レファレンス関連情報
  • 刊行物・グッズ
  • 国立国会図書館ホームページ
  • 国立国会図書館サーチ
  • リサーチ・ナビ
Copyright © 2024- National Diet Library. All Rights Reserved.
ページの先頭へ