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レファレンス事例詳細

事例作成日
2022年06月02日
登録日時
2022/06/03 14:11
更新日時
2022/06/12 22:34
提供館
県立長野図書館 (2110021)
管理番号
県立長野-22-038
質問

未解決

静岡県島田市に「信州石工 平原■之」と銘のあるについて石碑がある。この石工について、何かわかることはあるか。
回答
現在の南信地域、特に伊那市高遠周辺では農民(実際は専門の職人)が石工として旅稼ぎをし、いわゆる「高遠石工」として名を馳せた地域であった。また、江戸期の長野県内は小藩が林立する状態で、個々の藩について悉皆的に調べることはできない。そのため、高遠石工を中心に「平原■之」という石工について当館資料を調査したが、出身地、師弟等がわかるものは確認できなかった。

次の資料を参考までに紹介した。
・小松光衛「伊那石工を追って-美延から駿河へ-」『日本の石仏』第11号(季刊)1979 日本石仏協会
p.54-58「駿河の寺社遺品」の項目に、静岡市を中心としたものがあげられている。石工名としては、「北原佐吉」「北原弥右衛門」があげられているが、島田市についての記述はない。

・『日本石仏6』池田三四郎ほか編 国書刊行会 1983【N718/76】 p.24- 「東海の石仏」の項に、上記同様「北原佐吉」「九五郎」の記述がある。また、島田市では千葉山智満寺の三十三所観音の記述があったが、石仏についての資料のため、高遠石工の作かは不明。

・『高遠町誌 上巻 歴史2』 高遠町誌編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1983 【N242/79/1-2】
 高遠藩は石工稼ぎを奨励したことで多くの石工を輩出した地域のため、石工稼ぎについての記述について多くのページが割かれている。出国先での様子も書かれており、上州での記録が多く見られる。
 p.275-277にかけて「他国稼御改帖」などの史料の翻刻があげられており、その中に「石切稼ぎに出る者(明和四丁亥年 正月 日)水上村」の中に、
    一、駿州(静岡県)へ参候     友右衛門
                     請人  七郎兵衛
    (-中略-)
    一、駿州江参候            七右衛門
                     請人  八郎兵衛
    (-後略-)
があった。また、p.284-287の「石切分布」の節では、片倉村は駿州(静岡県)行きが最も多い、との記述がみられた。「高遠領藤沢郷片倉村旅稼ぎ分布表(嘉永7年)」では、駿州27が見られる。「高遠領山村村石工稼ぎ分布表」では、
    安政6年 駿州7のうち  駿河郡5  富士郡 1  由比 1 
    安政7年 駿州8のうち  駿河郡6  富士郡 1  由比 1 
が見られる。さらに、「文久2年高遠領入野谷、藤沢両郷石切出稼ぎ先と人数」の表があり、駿州へは、
    藤沢郷    中村  1   北原 1  御堂垣外 1  松倉 1 
    入野谷郷   非持山 1   非持 1 
とある。

・『長野県史 近世史料編 第4巻(1)南信地方』 長野県編 長野県史刊行会 1977 【N209/11/4-1】は、高遠領をはじめとする南信地域の諸藩の史料を内容別、年次順に翻刻したものになる。この諸産業に関する史料の中に、
  p.397-398 明和四年正月 水上村石切出稼人書上帳
  p.404-406 文化八年七月 藤沢郷石切仲間相州新丁場差止願
  p.406-408 文化十年十月 旅稼石切新丁場一件咎申渡
  p.423-426 安政七年正月 山室村石切出稼人書上帳
など、石切出稼にかかわるものがあった。このうち「出稼人書上帳」には、平原某のように苗字がかかれた石工名はない。すべて名前のみ。また、駿州○○村と書かれた行先はあったが、この中に島田村、あるいは島田宿と書かれたものは確認できなかった。上記『高遠町誌』等で、引用された史料の全文翻刻にあたるものも掲載されている。問い合わせの年代と近いものも、離れたものもある。

・『長野県上伊那誌 2 歴史篇』 上伊那誌編纂会編 上伊那誌刊行会 1965 【N242/32/2】p.1014-1017 「高遠領の石切」の節に、上伊那東部の藤沢郷・入野谷郷に多いとして、
    (-前略-)旅稼ぎの折りは、五人組で吟味をして請合い、「他国稼御改帳」「石切人別御改帳」
   に、その稼先を明記し、請人をたて、旅先で法度に触れることのないようにし、かならずその年内
   に立帰り、田畑の年貢など不調法のないよう致すべきことを、村役人に誓わしめている。(-後略-)
とある。p.1016には、「石切稼の他出分布」の表があり、水上村(明和4年1767)と片倉村(嘉永7年   1854)と調査年に開きはあるが、水上村から駿州へ5名とわかる。

・『長野県上伊那誌 4 人物篇』 上伊那誌編纂会編 上伊那誌刊行会 1970 【N242/32/4】は、上伊那地域の著名な人物を列挙した資料だが、「平原」姓の人物は見当たらない。この地域には、〇原という姓では、「北原」が多い。

・『箕輪町誌 歴史編』 箕輪町誌編纂刊行委員会編・刊 1986 【N242/67/2】p.808-811に、福与村の職人旅稼ぎのうち「諸職人の様子」で石工を取り上げている。文政3年三州へ2名 出た記述はあるが、そのほかは上州を中心に関東方面となっている。

・『高遠物語』 中原長昭 俳誌みすず発行所 2014 【N242/224/1】では、文久2年(1862年)の高遠領入野谷、藤沢の両地区から石切りの出稼ぎに出た者の、行き先、人数表が掲載されている。両地区から駿州へ6人が出ていることがわかるが、平原氏にかかる部分は確認できなかった。
回答プロセス
1 レファ協で類似事例を検索する。「高遠石工」で以下の2例。
 ・いわき総合-地域222「江戸時代、信州高遠は石工の故郷として全国的に知られていましたが、この高遠石工の石造物がいわき市内にあるか知りたい。」
 ・県立長野-19-089「高遠石工の活動実態について詳しく書かれた資料を見たい。」
 どちらにも、静岡県内の事例は確認できなかった。

2 『長野県史 通史編第5巻 近世2』 長野県編 長野県史刊行会 1988 【N209/11-4/5】で、高遠石工の概略をつかむ。江戸期農村の現金かせぎの生業の中に石工があり、長野県内でも特に著名なものとして高遠の石工を取り上げている。p.445-448にその概略が書かれており、p.445-447に
    (-前略-)石工の旅かせぎのようすは、文書史料上では近世中・後期のことしかわからない。初め
   は農閑期の冬季の副業だったらしいが、近世中期にはすでに専業化しているもののほうが多かった。
    (-中略-)石工を統制するために、各郷のおもだったものを石切り目付に任命し、また石切人別改め
   帳・他国稼ぎ改め帳などを村から提出させて掌握している。(-中略-)
    旅かせぎ石切人別帳には、本人と請人の名前を書き印判をおすほかに、行き先の定宿の名を記
   す。ということは、石工はそれぞれ石切の持場がきまっていたわけである。(-後略-)
とあった。

3 伊那市周辺の各市町村史誌を調査する。『高遠町誌 上巻 歴史2』『長野県上伊那誌 2 歴史篇』『箕輪町誌 歴史編』に、高遠石工の記述があるが、平原某は確認できない。
 『伊那市史 歴史編』伊那市史編纂委員会編 伊那市史刊行会 1984【N242/86/3】にも、p.834-836 「石切書上帳」から作成した他国出稼表が掲載されているが、出国先に「駿河」は確認できない。

4 郷土分類N718の石彫関係の資料を調査する。
・『再発見! 高遠石工』 長野県高遠町教育委員会編 ほおずき書籍 2005 【N718/73】
  著名な石工を取り上げているが、平原某は確認できない。
・『信州伊那社会史』 宮下一郎著 令文社 1980 【N242/80】
 p.255-229に、伊那地域の石切について触れている。p.228-229で、千村預領手良(てら)中坪村は、高遠領についで石切旅稼ぎが盛行していたとあるが、稼先については言及されていない。
・『高遠石工 石匠列伝』 田中清文著 伊那谷石造文化財研究所 1998 【N718/65】
 江戸期に各地へ出稼ぎをした高遠の石工の師弟関係を含めた技術、技巧の特徴を追いながら、系譜等を詳細に綴ったもの。平原氏にかかる個所は確認できなかった。

5 郷土史関係の雑誌論文を探す。当館の蔵書検索で、「石工」「高遠」「旅稼ぎ」「他国稼ぎ」などを類語も含めてそれぞれ検索する。石工についての論文はあったが、他国稼ぎで駿州の事例を扱ったものは確認できなかった。
・北原通男著「信濃高遠石工の他国出稼ぎについて」『信濃 第3次』第19巻3号207号
  副題に「相模・上野に現存する作品を踏査して」とあり、駿州は調査範囲に含まれていなかった。

6 Googleでweb上を「高遠 石工 駿河」で検索すると、関根達人著「近世石工の基礎的研究 1」弘前大学社会科学論叢3 2017 p.1-32がヒットした。内容は調査しているものと異なるが、参考文献に回答で紹介した論文を見つける。

<調査資料>
・『上伊那文化大事典』 伊澤和馬編・刊 1990【N242/109】
・『高森町史 上巻前編』 高森町史編纂委員会編 高森町史刊行会 1972【N243/76/1-1】
・『高森町史 上巻後編』 高森町史編纂委員会編 高森町史刊行会 1972【N243/76/1-2】
・『三穂村史』 三穂村史編纂刊行会編・刊 1988【N243/359】
・『鼎町史 下巻』 鼎町史編纂委員会編 鼎町史刊行委員会 1986【N243/136/2】
・『長野市誌 第4巻 歴史編近世2』 長野市誌編さん委員会編 長野市 2004 【N212/318/4】
・『大町市史 第3巻 近世』 大町市史編纂委員会編 大町市 1986 【N231/36/3-1】
・『小海町志』 小海町教育委員会編 小海町志編集委員会 1997 【N223/20/4】
・『飯島町誌 中巻 中世・近世編』 飯島町誌編纂刊行委員会編 飯島町 1996 【N242/110/2】
・『木曽福島町史 第3巻』 木曽福島町編・刊 2000【N234/76/3】
・『信州石工 出羽路旅稼ぎ記』 木村博ほか著 村山民俗学会 2010 【N714/85】
事前調査事項
NDC
  • 仏像 (718 10版)
  • 中部地方 (215 10版)
  • 日本史 (210 10版)
参考資料
  • 日本石仏協会. 日本の石仏 (11). 日本石仏協会, 1979-10., ISSN 03857824
    https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002435116-00
      (小松光衛「-美延から駿河へ-」)
  • 高遠町誌編纂委員会/編 , 高遠町誌編纂委員会 , 高遠町誌編纂委員会. 高遠町誌 上巻 歴史 1. 高遠町誌刊行会, 1983-00.
    https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059397193-00
      ( 歴史2』 高遠町誌編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1983 【N242/79/1-2】)
キーワード
  • 高遠石工
  • 旅稼ぎ
  • 駿河
照会先
寄与者
備考
調査種別
事実調査 文献紹介
内容種別
郷土 人物
質問者区分
社会人
登録番号
1000316973
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000316973 コピーしました。
アクセス数 3389
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