レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年8月18日
- 登録日時
- 2018/12/08 15:00
- 更新日時
- 2020/01/20 17:35
- 管理番号
- 水戸中2019-021
- 質問
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未解決
水戸市千波町にある「舟付」という地名のところにあった「船着場」のことがわかる資料。
- 回答
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『千波かるたで発見 マイタウン千波』p34(舟付の地名を残す舟場跡)に記載あり。マンションを建てる際に地中から船が出てきたという記述がある。
『暁雲 1975』p4(1.千波湖の今昔物語 渡船場および架橋 )に「明治39年大字千波に経営し始めた~」の記述
p6 に地図(簡易なもの)がある
『明治期の千波湖をめぐる若干の問題』p3,p5 に千波湖の渡し船に関する記述が少しある。これによると「千波湖渡船場関係綴」を含む深作家の文書群が茨城県立歴史館で所蔵されている。
- 回答プロセス
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蔵書検索システムで「千波湖」をキーワードに資料の抽出を行った。
『常陽芸文』1984年3月号(水面に県都の変遷を映す 千波湖(水戸市)周辺の今昔)には、船宿があったという記述はあるが、船着場の記載はない。
『水府巷談』『水府異聞』『水府綺談』『水戸市史 中巻(三)』『水戸市史 下巻(一)』の千波湖関係記事には船着場に関する記述は見つからなかった。
『水戸市史 中巻(一)』p347からp351にかけて千波湖の項目がある。船宿の記載はあるが、船着き場の記述はない。
『水戸の町名』『今昔水戸の地名』『千波湖干拓と昭和戦前期の千波湖をめぐる諸問題』『水戸の昭和史』は記載なし。
『都市の中の湖』千波湖の参考資料
『水戸の近代百年』は千波湖周辺の公園化計画に関する記述である。船着場の記述はなかった。
『明治期の千波湖をめぐる若干の問題』水戸の近代化と千波湖(1)茨城大学教育学部紀要第43号(1994)抜粋 では渡し船についての記述があったが,船着場についてはふれていなかった。この論文の参考文献に『千波湖渡船場関係綴』があった。当館及び茨城県立図書館の所蔵はなく,茨城県立歴史館に寄託された文書だった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 交通史.事情 (682)
- 内陸水運.運河交通 (684)
- 参考資料
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- 『千波かるたで発見!!マイタウン千波』. 水戸市立千波小学校, 2000. (当館請求記号 M0798セ, 当館資料番号 1188228462)
- 『暁雲 1975』千波湖の今昔物語. 渡辺 智子,沢畑 恵子.茨城県立水戸第三高等学校地域研究クラブ, 〔1975〕. (当館請求記号 M0051ギ75, 当館資料番号 1188220758)
- 「『明治期の千波湖をめぐる若干の問題』水戸の近代化と千波湖(1),大槻 功,茨城大学教育学部,1994 (当館請求記号 M0213メ 茨城大学教育学部紀要第43号(1994)を抜粋,製本)
- キーワード
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- 水戸 千波湖
- 船着き場
- 渡し舟
- 水上交通
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000247685