レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/08/26
- 登録日時
- 2015/10/28 09:33
- 更新日時
- 2016/01/15 18:34
- 管理番号
- 埼久-2015-083
- 質問
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解決
満州国となる地域に、いつ頃から日本人が住むようになったのか知りたい。現在の中国東北部の満州国だった地域は、満州国建国以前から日本人の居住があったことが推測されるが、そのことについて触れている資料があれば教えてほしい。
- 回答
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少なくとも明治37(1904)年に満州に日本人が居住していたことがわかった。日本人の居住について記述のあった下記資料を紹介する。
『日本帝国統計年鑑 第33回』(中村隆英復刻版監修 東洋書林 1965 大正3年刊行の復刻版)
p1044-1075 租借地関東州あり。「879表 現住戸数及現住人口」に明治三十九年末から大正元年末までの「本邦人」男女別の人口及び大正元年十二月三十一日現在の地方別「本邦人」男女別人口あり。明治四十二年以前ハ朝鮮人ヲ外国人中ニ算入スとあり。そのほか、現住人口職業別、本邦人渡航者帰航社者の職業(本籍地の調査)あり。
『関東局施政三十年史 下』(関東局編 原書房 1974 昭和11年刊の複製)
附表p6「第七表 現住戸口累年末比較」に明治39年から昭和10年までの日本人統計(戸数・人口)あり。
附表p8「第十表 人口動態累年比較(其の一)」に明治41年から昭和9年までの日本人の(結婚・離婚・出生・死産・死亡別)あり。
附表p28「第二十七表 関東州小学校現況(昭和十、四末現在)」では、学級数・職員数・児童数と設立年月日(明治38年5月-昭和8年4月)あり。
『再見・大連』(松下満連子著 謙光社 1970)
巻末の著者略歴に、1925年2月大連にて出生とあり。著者の大連での生活や終戦後の引き揚げの話が主体だが、満州国建国以前の日本人の活動についての記述も散見される。
p7-12「わが街」では、日清戦争から日露戦争後にかけての大連をめぐる日露両国の動向および「満州風雲録」(金丸精哉著)を引用している。
p61 大連以前に営口への日本人居住があり、日本も、一八七六年(明治九年)に日本最古の領事館をここに開設し、日露戦役中、占領時の軍政官によって新市街が創設され、満州に於ける最初の邦人経営、小寺油房が事業を開始した。また、禰宜田喜代治郎氏は明治38年に営口へ渡り、食料品を手広く商う禰宜田商店を設立し、その後旅順を経て、明治39年に大連に店舗を移したとあり。
『植民地都市の社交ダンス』(永井良和著 関西大学経済・政治研究所 1999)
p2-3『関東局施政三十年史』(関東局 1936 )(p788-802)からの引用として明治三十八年六月関東洲民政署が開庁せられ斬次我が仁政の普及するに伴って、各種の営業も亦頓に勃興した 等、風俗営業などについての記述あり。
「海外渡航及在留本邦人統計 大正八年至昭和三年」(外務省通商局編 外務省通商局 1930 国会図蔵)
《近代デジタルライブラリー》インターネット公開資料(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442403 国会図 2015/08/26最終確認)
p31(コマ番号20)第十二表「海外在留本邦人員数年表」に満州(関東廳管内を含む)の項目及び明治37年、大正3年、大正8年以降昭和3年まで各年の統計あり。
- 回答プロセス
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『国史大辞典 3』(吉川弘文館 1982)
p891「関東州」の項目に、「明治三十八年九月日露講和条約によりロシアから継承した日本の租借地。(中略)同時にロシアから譲り受けた東清鉄道南部線の経営権とともに、日本の大陸発展の基盤をなした。」とあり。
『日本史大事典 2』(平凡社 1993)
p570「関東州」の項目に、「南満州鉄道会社付属地とならんで日本の南満州支配の基盤となった。とくに南端の大連は(中略)日本の官衙、銀行、会社が多く進出した。」とあり。
『関東局施政三十年史 上』(関東局編 原書房 1974)
p21「人口静態調査は明治三十九年五月戸口調査規定制定以来、警察機関の調査した戸口簿に依り之を行った」とあり。
p23 静態調査の項「国籍別増加の趨勢を見るに日本人は明治三十九年末は戸数三千八百八十六戸、人口一萬六千六百十三人と記述あり。
《レファ協DB》を〈日本 & 戦前 & 人口〉で検索する。
管理番号C110614095154「幕末から戦前までの①日本人が出国した数、②外国人が日本に留まった数」の文献を調査する。(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000090044 国会図 2015/08/19最終確認)
『幕末明治海外渡航者総覧 全3巻』(手塚晃編 柏書房 1992)
1861(文久元)年から1912(明治45)年までの間、日本から留学または視察のために海外へ渡航した約4200名の、渡航時期等が収録されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国 (222 9版)
- アジア (352 9版)
- 記録.手記.ルポルタージュ (916 9版)
- 参考資料
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- 『日本帝国統計年鑑 第33回』(中村隆英復刻版監修 東洋書林 1965)
- 『関東局施政三十年史 下』(関東局編 原書房 1974)
- 『再見・大連』(松下満連子著 謙光社 1970)
- 『植民地都市の社交ダンス』(永井良和著 関西大学経済・政治研究所 1999)
- 「海外渡航及在留本邦人統計 大正八年至昭和三年」(外務省通商局編 外務省通商局 1930)
- キーワード
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- 満州-人口
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000182995