レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2025/10/5
- 登録日時
- 2025/10/06 15:24
- 更新日時
- 2025/11/27 14:22
- 管理番号
- 塩尻774
- 質問
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五千石街道は塩の道なのか。
- 回答
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多くの資料で「塩の道」とされているルートからは外れている。
- 回答プロセス
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市の歴史が分かる資料、街道に関する資料などを確認した。
『塩尻市誌 第2巻』 第4編 近世 第7章 交通 p833 4.五千石街道
…「慶安検地のころ塩尻宿の上町から長畝へ出、さらに中挾から南熊井・赤木を経て、竹淵で村井方面から来る北国街道と合流するまでを五千石街道というようになった。」とあり。
『塩尻学びの道』 p61 街道を学ぶ 五千石街道
…p62 五千石街道のルートが図示されている
p63の本文には「塩尻宿の上町から長畝へ出て、さらに中挾から南熊井・赤木を経て竹淵で村井方面から来る善光寺街道(北国西街道)と合流している。もう一本は、北熊井の宮本から別れて、内田、埴原、和泉、神田へ通じる道も五千石街道であった。」と説明されている。
p63 五千石街道の由来あり 「諏訪藩主が東五千石の飛び地の巡見に利用した道が『五千石街道』と呼ばれるようになったとも言われている。」
『塩尻町誌』 p795 第10章 交通 第1項 國道懸道及町通(「通」は二点しんにょう)
…「塩尻の地は五街造の一たる中山道東西に貫通し、南に脇往還たる伊那街道、北に五千國街道及松本街道を分岐して、塩尻宿は早くから四通發達要衝の地とされてゐた。」とあり。
『交通史話』 p96 2 五千石街道
…p97 五千石街道のルート、由来について「慶安検地(慶安四年〈1651〉)のころ塩尻宿の上町から長畝へ出、さらに中挾から南熊井・赤木を経て、竹渕で村井方面から来る北国脇街道と合流するまでを五千石街道というようになった。」とあり。
『もっとも長い塩の道』
…pⅥ 「塩の道概略図(秋葉・伊那・千国ルート)」あり。南塩・北塩それぞれのルートが塩尻に至るものとして示されている。
p40 第4節 北塩-塩尻に至る北塩の今昔- 北塩のルートとして千国街道が示されている。p41に略図あり。五千石街道のルートは含まれていない。
ウェブ上の情報にも五千石街道の由来やルートについて記述があるが、塩の道との関連は示されていない。
街道を学ぶ 五千石街道(塩尻市) https://www.city.shiojiri.lg.jp/soshiki/35/3940.html(2025.10.10 最終閲覧)
いずれの資料にも五千石街道が塩の道ということは示されていない。
このため、一般的にいわれる「塩の道」と五千石街道は別であると案内した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 交通史.事情 (682)
- 参考資料
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塩尻市誌編纂委員会 編. 塩尻市誌 第2巻(歴史). 塩尻市, 1995.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002404071 -
塩尻市/編集 , 三朋社/編集協力. しおじり学びの道 : 学習ガイド : GUIDE BOOK. 塩尻市, 2007-03.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I20111001100594046 -
大森利球治, 三沢勝衛 著. 塩尻町誌. 塩尻町誌刊行会, 1937.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000716035 - 小松 克己. 交通史話. 小松 克己, 2009.
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竹内宏, 榛村純一, 渡辺貴介 編著. もっとも長い塩の道 : 日本海・アルプス・太平洋350km. ぎょうせい, 1997.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002625067 , ISBN 4-324-05162-3
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塩尻市誌編纂委員会 編. 塩尻市誌 第2巻(歴史). 塩尻市, 1995.
- キーワード
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- 五千石街道
- 塩の道
- 長畝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000374967